自己責任という言葉が嫌い

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自己責任という言葉が嫌い。

どこかの復興相の言葉をどうこう言いたいわけでもなく。

はっきり言いますが、この国に自己責任というものはありません。自分の責任だったにしても、必ず誰かに迷惑をかけます。どこかで誰かが助けることになります。この国でたった一人で生きている人はどれくらいいるのでしょう?

「自己責任でしてください」という言葉は、「わたしは責任を持ちませんよ」と言っていることと同じです。

そう言いたくなることもたくさんあるかと思います。でもわたしたちはそれぞれが関わり合っているのですから、「出来る限りのサポートはするけど、できなくなったらごめん。」と言うほうが日本人らしくないですか?

結果は同じかもしれませんが、ようは言い方です。

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わたしもときどき自己責任という言葉を使います。そう言わないと相手が納得してくれないときに、ただの言葉遊びだと分かっていても、「自己責任でやりますから」と言ってしまうことがあります。

百歩譲っても、自己責任という言葉は責任を取るほうが使う言葉です。

責任を取るほうが使うにしても、それは周りの人たちのことたちを何も考えてない言葉です。自分のことはすべて自分でなんとかできるという思い上がり。

20代くらいまでならそういうのもかわいいものですが、30代を超えて「自己責任でやります」というのは恥ずかしいことです。

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このブログを読んでいる人には裸足系のランナーが多いと思いますので、分かりやすく言えば、マラソン大会で裸足で走るのに、主催者側が「裸足はやめてほしい」とお願いされても「自己責任でやりますから大丈夫です」と答える人も多いかと思います。

そうそうあることではないのですが、じゃあ実際にケガをしたらどうなるか。救急隊が当然出てきます。見ている人たちは心配します。家族だって心配するでしょう。

トレイルでもいいです。トレランの大会で転んで大きなケガをしたときに、「自己責任で先に進みます」と言う人がいます。ケガをした時点で、すでに自分だけのことではないのに、そこからさらに自己責任というのはどういうことか。

世の中にはいろんな人がいます。本当に自己責任で何かをできる人がいるかもしれません。

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でも「誰にも迷惑をかけていない」という言葉と同じくらい、「自己責任でやるから」という言葉は恥ずかしい言葉だと思います。少なくともこのブログを読んでいるくらいの人たちは、多くの人たちに支えられて生きているはずです。

どこかで誰かが心配してくれているということを忘れてはいけません。心配してくれと頼んだわけではない。そういう考え方もありますが、それこそみっともない生き方です。

もっとも心配する側も「心配してあげてる」になったら最悪ですが。

もたれ合いは嫌いですが、支え合いは嫌いじゃありません。支えられるのはちょっと苦手ですが、支えられているということを忘れたことはありません。

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ラン仲間のちょっとした一言が勇気になることもあります。

「あの人の笑顔を見たいから頑張ろう」と思えることだってあります。いや、そんなことばかりです。そうでなければ、万里の長城マラソンの日本事務局を続けることはできません。

わたしは事務局として参加者をサポートしていますが、参加者の存在がわたしの人生をサポートしてくれています。

そうやって人は人と関わりを持ちながら生きています。辛いことがあると「なんで自分だけがこうなるの」と思うかもしれませんが、そうなったあなたを心配してくれる人、支えてくれる人が必ずいます。

だって、あなたが逆の立場だったら、心配するしなんとかしてあげようとするでしょ?

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自分ひとりだけで責任を負うことなんてできないんです。だから、時と場合によってはさっと身を引くことも必要です。引き際を心得ている人。それがわたしの思う美しい人です。

いつも引いてばかりではただの愚ですが、押してばかりいる人も愚です。押すところは押し、その上で引くべきところをわきまえている人は賢です。

自己責任なんて成立しない言葉を捨てて、全力で誰かを助けることがあたり前の生き方を一緒に目指しませんか?別に一緒でなくてもいいですが。

少なくともわたしはその道を進みますので、いつか道の先で合流できたら声をかけてください。


責任という虚構
著者:小坂井 敏晶
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