新しく誕生した命と、次の世代へとつながれた命

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今週、友人に子どもが産まれました。それを聞いただけでウキウキしていた翌日に、別の友人のお母さんがなくなったと聞きました。誕生する命があれば、尽きていく命がある。あたりまえのことなんだけど、簡単にはあたりまえなんて言えない。その2人には接点がないけど、こうやって人間は時代を作っていったんだとちょっと不思議な気持ちになりました。ひとりの人が生まれて死ぬまでに数々のドラマがあるわけです。いいこともあれば悪いこともある。お金持ちになる人もいれば飢えで苦しむ人もいる。それでも最後にはどんな人であれ命の灯が儚く消えてしまうのです。

おいらが命について考えるようになったのは叔父が亡くなったときでした。父は5人兄弟で、そのうち父を含めた3人がすでに他界しています。父の父すなわちおいらの祖父もわりと若いうちに亡くなっています。最初に叔父が亡くなったころ、おいらは1日に何時間も残業し、帰宅するときには0時を回っているのが日常でした。叔父も同じように忙しくて帰宅するのも遅かったという話を聞いて、おいらは働き方を見直しました。仕事を楽しむのはいいけど、仕事のために生きるのはやめようと誓ったのです。

もっともそれまで猛烈に働いてきたことを否定するつもりはありません。社会人になって最初の数年、寝る間も惜しんで働き、休日も調べ物や勉強に使っていたあの時間があったからこそ今の自分があるのです。いいタイミングで舵を切れたというところでしょうか。

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本格的に死を身近に感じたのはやはり父の死です。突然の出来事でしたが、虫の知らせというのでしょうか、数日前に数年ぶりに実家に帰省して父に会えていたことだけが救いでした。身近な人の死というのは人生を大きく変えてしまうだけの力があります。あの日の前後でおいらはまったく違う自分になったような気がしています。そういえばマラソンを始めたのは父の死の前年でした。あのとき走ることがおいらにとっての救いだったような気がします。

面白いもので死を意識すると誕生にも意識が向くようです。もともと子ども好きなところはありましたが、あのころから子どもと遊ぶのがたまらなく好きになりました。子どもたちに「つなぐ」ことを意識し始めたのはもう少し最近の話ですが、父から受け継いだもの、もっと多くの人から受け継いだものを次の世代につなぐことが、おいらにとって「生きる」ことだと最近になってわかってきたのです。

友人のお母さんも友人に多くのことをつないだのでしょう。おいらは直接会ったことがなのですが、友人を通してやっぱりおいらの中にもつながったこともあるのだと思います。

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それとは別に、命は今この瞬間にでも尽きてしまうかもしれないということも、この歳になると感じるようになってきました。20代のころはそんなこと考えもしませんでした。死はずっと先のことで考える必要もなかったのです。もしかしたら考えることから逃げていただけかもしれません。それから多くの経験を積んで、死というものが恐怖ではなく、いつもそばにいる友人のような存在になりはじめています。

誰にも等しくやってくる死。生を受けたその瞬間から死はずっと一緒にいるのかもしれません。そう思うと、やはり子どもたちが可愛くてしかたないし、自分自身はいつも全力でいようと思うのです。いつ死が手招きしてもいいように、今この瞬間を大切にしていようと思うのです。そのためにはいつも言っているように、今この瞬間を全力で生きるしかありません。その積み重ねです。そうやって生きていけばもっと多くのことを次の世代へバトンタッチできるかもしれませんしね。

 

生まれたばかりの子どものこれからの未来と、友人のお母さんが生きてきた人生に祈りを捧げます。

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