友だちの姪っ子の文化祭に行って感じたことを書いておこう

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芸術の秋。土曜日に今年中学生になった友だちの姪っ子の文化祭に行ってきました。小さいころからよく遊んでたけど、中学生になってからはまだ一度も会っていなかったのと、その中学校の合唱部というのがものすごくハイレベルなのだと聞いて、これはいい機会とお誘いに乗ったわけです。彼女が中学に進むにあたって、どの部活動に入るのかすごく興味があったのですが、選んだのはその合唱部でした。ついていけるのかなという思いと、これまでとは違った一面が見れそうで楽しみに学校に向かいます。

自分の中学時代にどんな文化祭をしていたのかはまったく記憶にありません。演劇とかそういうたぐいのものだったような気もしますが、前日の晩ごはんも覚えていないような記憶力なので、思い出したくても何も思い出せないのです。中学時代は楽しかった記憶ばかりなのに、なぜでしょう。そういえば高校1年の文化祭も覚えていません。高校1年は学生生活でもっとも最悪な1年だったから記憶から消されているのは理解できるのですが、中学時代を少しも思い出せないのはちょっと残念です。

そういう状況なので中学の文化祭というものがどういうものなのかまったく想像できません。そもそも、もう20年以上も前の話なので、今とは教育そのものが違っているのでしょう。教師が生徒を殴れなくなった時代に教師はいったいどうやって威厳を保っているのかもわかりません。こんなこと書くと体罰を認めるのかと言われそうですが、体罰なしでどんな状況でも教育が本当に成立するというなら、その実例を教えてもらいたいものです。

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それはともかく、いまどきの文化祭。基本は展示のようです。学んだことを展示していました。英語・社会・美術・国語ぐらいでしょうか。英語は英作文と絵。社会は特定の職表について調べて新聞にしていました。国語は俳句でしょうか。美術は言うまでもなく絵ですね。学年ごとにテーマがあるようでした。美術のテーマの中に空き缶を書くものがあったのですが、デッサンの基本を学んで、その技法を使って書いていたようです。おいらたちの時代、技法のようなものを習っていた記憶がありません。「手を書きましょう」というテーマで手を描く。それだけでした。そこに技法も何もあったものではありません。遠近法ぐらいは学びましたが。

おいらにとってのメインイベントは体育館で行われるようです。まずは吹奏楽部です。高校時代、吹奏楽部の子を好きになった淡い思い出はいずれ話すとしましょう。おいらは音楽に関しては素人以下なので、評価なんてできませんが、中学生らしい未完成ながらもエネルギー溢れる演奏が見事でした。中学生のよさは無限とも終える可能性にあるのだと思います。この時点はまだスタートラインに立つか立たないかというところ。すべてをうまくこなす必要はありません。自分たちの良い所をどんどん活かしていけばいいんです。

次に合唱部…ではなく、準備の時間を使って「ヨーヨーの演技」というアナウンスがありました。体育館にいる人たちはちょっと苦笑。でも、演技が始まった瞬間に苦笑が驚きの眼差しに変わります。一人の男の子が音楽に合わせて見事にヨーヨーを操っているのです。とても中学校の文化祭レベルの芸ではありません。推測でしかありませんが、彼はきっと世界を目指しているか世界を知っているのでしょう。その演技以上に堂々とした姿に魅了されました。おそるべしいまどきの中学生。中学時代なんておいらプラモデルかラジコンぐらいしかやってなかったのに…

さていよいよ合唱部です。ほんと動画を載せたいほどすごかった。興味がある人はYouTubeで『Nコン』で検索してみてください。おいらの見に行った中学校とは違うものもたくさんアップされていますが、これが中学生の合唱なんだと思うと驚愕です。すべての中学生にこれだけのことをやり遂げる才能があるとしたら、おいらは中学時代にいったいどれだけの無駄な時間を過ごしてきたのでしょう。いや、その時間があったから今の自分があるわけなのでそういう意味では無駄ではないのだけれども、なぜもっと自分を伸ばそうとしなかったのか。

もちろん、中学や高校では指導者というものの存在というのが大きい。いい指導者に出会えた人とそうでない人では伸びが違うのは言うまでもない。中学生はまだ未完成だから自分の活かし方をわかっていない。自分にどれだけの可能性があるかもわからない。ただがむしゃらに頑張る。もしくは自分の可能性を諦めてしまう。そこできちんとした道を示すのが教育者の役割なんじゃないでしょうか。勉強を教えるのだけが教育者ではないと思うのですが、逆を言えば道を示すのはなにも学校の先生だけなくていいはずです。

子どもが大人と接するとき、大人はすべて先生であり先輩なのです。おいらたちの言動を見聞きして彼らや彼女たちは大人になっていくのです。もちろんおいらたちは聖人君子ではないから、いつだって清く正しくはいられない。でも、そのことを忘れちゃいけないんだと、あらためて思わされた文化祭になりました。

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