不便さの中でしか得られないものがある〜お遍路を振返って〜

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凍えるような寒さの中、朝ランをしているとき、ふとお遍路をしていたときのことを思い出しました。その頃は1回目の独立をした後でしたが、派遣社員という形で仕事をしていたので、長期休暇を使って数回に分けて1周しました。

1回で150kmくらいしか進めないので、結局2年ちょっとかかったでしょうか。春からすたーとして、冬を2回経験しました。1回目は四国の最南端で猛吹雪にあって、本気で遭難するんじゃないかと焦ったことを覚えています。

2回目の冬は香川で八十八ヶ所目を歩き終えたときでした。友人の親の実家(こういうのはなんと表現すればいいのだろう)でその家の誰よりも早くにお雑煮とおせちをいただいて年始も歩いていました。

わたしは基本的に寒いのが苦手なのですが、お遍路に関しては春夏冬を経験できたことは良かったなと思っています。秋のお遍路を知らないことが残念ですが、どんなものでも不足しているから美しかったりするものです。

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夏のお遍路もやはり過酷でした。丸1日ずっと炎天下の海岸線をあるき続ける日があり、そのときは間違いなく熱中症になっていました。1日ずっと歩いても1つもお寺に到達しないので休むこともできません。

お遍路を歩いていた頃は、こんな苦しいことは他にはないと思っていましたが、喉元過ぎればなんとやら。でもいまだに「もう1回やりたい」とは思いません。

もっとも、お遍路というのは行こうと思っていくものではなく、お遍路に呼ばれて行くものだと、わたしは思っています。神様も仏様も信じていませんが、そのときのわたしには行く理由がありました。

お遍路をしないと救われない自分がいたので、ただ歩いていた。それだけです。

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とはいえお遍路なんてただの道です。人気テレビ番組「水曜どうでしょう」のように、数日で車で回ってみるというのもいいですし、ランナーなら走って回るのもいいでしょう。

わたしは入り方が真面目だったので、いまさら軽い気持ちでは回れませんが、どういう気持で回ろうとそれは人の自由だとは思います。それぞれにご利益があるかもしれませんし、真面目に歩いたとしても特別な御朱印をもらえるわけでもありません。

冬の寒さの中、ただひたすらに何も考えずに歩くだけ。寒すぎて手袋を外すのも面倒なので、できるだけルートを覚えて行けるところまで歩きました。2007年ですので今のようにスマホもなかった時代です。

お遍路をしている途中でiPhone3Gが発売され購入していますが、今のようにたくさんのアプリがあるわけではありません。地図で現在地が分かってもお遍路が分かるわけではないので役に立ちません。

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いま思えば不便だなとは感じるものの、きっとお遍路もスマホ時代の前後でまったく違ったものになっているのかもしれません。今はきっとお遍路アプリのようなものもあるのでしょう。

そういうものがない時代だったからこそ、迷いながら考えながら歩くことができました。そしてその行為そのものがお遍路なんだということに10年経過してようやく理解できるようになりました。

お遍路は八十八ヶ所を回ることだと思っている人も多いようですが、お遍路とはそのお寺をつなぐ道のことを言います。そしてその道での経験こそは本当のお遍路なんだろうなと、わたしは考えています。

ヘリコプターで回ってもご利益は一緒だと言われていますが、ご利益かどうかは分かりませんが、そこで得られる経験というのは一緒ではありません。やはり自分の足で長い時間をかけて歩いたほうが、様々な経験ができます。

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そこでの経験が人生で役に立つのかと言われると難しいところですが。

ただし、どんどん便利になっていく世の中で、不便さの中でしか得られないものがあるということだけは、忘れないようにしなくてはいけません。

急にお遍路のことなんて思い出したのは、心のどこかで便利になっていく世の中に対して、不安を感じている自分がいたからなのかもしれません。限りある人生なのだから楽して生きるよりは、悩み苦しみながら、その先の光を追い求めるほうが、わたしには向いています。

いつもせわしなく何かをしている。何かに追われている。そういう中でこそ、わたしは自分らしくいられます。2018年も始まったばかりですが、この1年も泥臭くアナログな生き方を継続していきたいところです。


フランスからお遍路にきました。
著者:マリー=エディット・ラヴァル
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