「市民吹奏楽団おたまじゃくし」の演奏会に行ってきた

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仲間の演奏会に行ってきた。「市民吹奏楽団おたまじゃくし」という吹奏楽団なんだけど、音楽がまったくわからないおいらでも楽しめる演奏が嬉しい。コンクールに出たりはしないんだけど、毎年演奏会が開催されて、聞きにくのはこれで3回目かな。もう35年も活動をしていて、演奏会は今年で39回目だそうだ。おいらが幼稚園に通う前から活動しているというだけですごいと思う。あの時代から脈々と継がれていることがある。観客にお年寄りが多かったんだけど、きっと過去にこの吹奏楽団で演奏していたんだろうなと想像してみたり。

彼らの演奏をしている姿を見ながら、普段彼らが会社で働いている姿をイメージすることがある。日常、忙しく働きながらもいい演奏のために練習を欠かさないんだろうなと思うと、おいらのようなランナーにも通ずるものがある。おいらたちはプロじゃないから、生活のために仕事をしなければいけない。いや、演奏するため走るために仕事が必要なのだ。でも、日常の中で真剣に向き合えるものがある人は職場でもきっと輝いている。

演奏は、うん本当においらにはわからない。すごいのかすごくないのかすらわからない。ただ素人でも楽しいからやはりすごいんだろうと思う。それもやっぱり市民ランナーのすごさに似ているなぁと思うわけです。飛び抜けていい音を出している人もいれば、あれ?と思うような音になることもある。でも、それがうまく調和されて楽団としてひとつの演奏を行っている。それぞれが1人で出来ない音を楽団で作っているのだ。市民ランナーも一人ひとりは個人差があるけど、マラソン大会はひとつの演奏のようなエネルギーがある。そこに物語がある。

努力は報われるとか、努力する姿が美しいとは言わない。でも、努力を継続することでしか奏でられない音がある。駆けられない距離がある。人によってはその努力そのものが楽しいという高橋尚子のような少しおかしな人もいるんだけど、おいらはその努力がただただきつい。今シーズンも坂道トレーニングを始めたんだけど、とにかくきつくてつらくて、走りだすまでは本当に憂鬱になる。トレーニングも食事が喉を通らないレベルにまで疲弊する。でも、やらなければ先に進めないし、自分の目標は達成できない。朝起きていきなり天才になるようなことはないのだらか。

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芸人でもそうだけど、人を楽しませたり感動させるようなレベルに到達する人たちはやはり絶対的な練習量が違う。そして、市民楽団や市民ランナーがどこまでそれを追求するのかという課題がある。人生のすべてを掛けて、自分の届く最高点を目指すのもひとつの道だし、人生の目標はそういうところにあるわけじゃないと、ほどほどに頑張る人もいる。まったく頑張らない人はそもそも市民楽団にも入らないだろうし、市民ランナーになることもないと思う。頑張らないという生き方も当然あるし、それはそれで潔いとも思う。

大事なのは自分の気持に嘘をつかないこと、自分の行動に後悔しないことだと思う。若いうちはいくらでも後悔すればいいと思う。でも30歳を超えたらそうはいかない。もはや後悔をするだけの時間がないのだ。「あのときもうちょっと頑張っておけば…」そういう思いをしないですむように、日々をきちんと積み重ねる。そういうランナーになりたいと思う。

音楽はまったくわからないおいらは、それでもきっとこれからも仲間の演奏する「市民吹奏楽団おたまじゃくし」の演奏会には足を運ぶんだろうなぁ。頑張っている人はそれだけで美しい。そして強いエネルギーを与えてくれる。そういう人たちと刺激を与え合う道をおいらは歩みたい。

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