年賀状のすすめ

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毎年この時期に書いているような気がするけど、今日は年賀状について書くことにしよう。残念ながらおいらの年賀状はまだデザインも手についていない。お年玉付きの切手を購入してそこで満足してしまった。残り20日とちょっとで仕上がるのだろうかちょっと不安になってきた。おいらが出すのは30枚程度でしかない。年賀状だけの付き合いになってしまっている人もいるけど、それでも年賀状をやめようとは思わない。年賀状は決して廃れた文化じゃなく、人と人をつなぐ大切な文化だと感じているからだ。

facebookやmixiなんかで友人とつながっていると、あえて年賀状を出す必要がないのではないかと考える人も多いと思う。SNSがこんなにも定着する前はメールが年賀状代わりだった人もいたと思います。毎年新年には「あけおめ」メールで回線がパンクするぐらいなので、もしかしたら今は年始の挨拶はメールが基本なのかもしれない。文化とは常に変化するものなので、年賀状がメールに変わるのは時代の流れからして当然なのかもしれない。それでも、おいらがメールでの年始の挨拶にしないのはなぜだろうか。

そもそも年賀状とは何なのだろうか。日本以外に年賀状の文化があるのは中国・韓国・台湾ぐらいだろうか。欧米にはそもそも新年を祝うという文化があまりない。キリスト教の世界ではやはりクリスマスが最大のお祝いで、新年に強いこだわりがないのだろうか。

日本における年賀状の歴史は意外と古い。平安時代には年始の挨拶に伺えない代わりに書状という形で年始の挨拶をしていたそうだ。庶民に定着したのは明治時代だ。1873年に郵便はがきが発売されたころからお手軽感が手伝って爆発的に年賀状が流行した。年賀郵便のシステムが出来たのが1899年だそうだ。実はおいら、年賀状というのは郵便局が儲けるために作り出した、バレンタインのような商業的な始まりだと思っていたんだけど、そうではなかった。むしろ文化が先行し、商業的なものはあとからついてきたようだ。

おいらが年賀状をやめないのは、それが日本人らしい文化だからだ。文化を守りたいわけではなく、文化として定着したものにはそれなりの意味があると信じているからだ。単純に年賀状が届くとうれしくなる。学生時代なんかだと気になるあの子から年賀状が来ようものなら新年から有頂天だ。今では仲間が結婚したとか、子どもが出来たとかの近況報告で嬉しくなる。年賀状は過去を振り返るのではなく、前を向いている。そういう部分が好きなのだ。

年賀状だけの付き合いになっていても、やっぱりそれはそれでつながりだと思う。少なくとも宛名を書いているあいだはその人のことを思い出す。元気にやってるかなぁとか思うわけだ。毎月のように会っている人でも、新しい年は一緒に何をしようかと考えるわけです。会わなくても、その人はおいら自身の中で生きているわけです。

どんな時代になろうともやっぱり年賀状は大切です。ひさしく出していないなぁと思う人は、まずは1枚でも2枚でも書いてみてはどうでしょう。両親宛でもいいですし、よく遊ぶ親友でもいい。書こうと思って気づくことがあるはずです。意外とお互いの住所を知らないんだなぁということ。20年前では考えられなかったことですが、いまは仲間の住所を知らないことがあたり前なのです。そういうのなんとなく寂しくないですか。便利さや効率化の先にある無味無臭の世界。そういう世界に風穴を開けるのが年賀状です。

PCとプリンタがあればあっという間にできちゃうのですから、せめて宛名ぐらいは手書きをしたいですね。宛名を書く時間、その人のことを思い浮かべてみましょう。ちょっとだけ気持ちが豊かになりますよ。

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