情熱のないモノづくりに未来はなく、情熱のない走りに栄光はない

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半分は仕事の愚痴のような話なんですが、文章にすることで少しでも頭のなかをまとめておこうと思います。

おいらは半製造業のような職場で働いています。自社で何かを作るのではなく、設計までは自社で行って製作は外注というタイプの製造業。そういう職場だからか図面さえ出せばモノづくりはどことなく「できてあたりまえ」という感覚の人が多い。もちろんそういう人ばかりではないんだけど、正しい手順で正しく作ればきちんと出来る。高学歴な人が多いからかアカデミックな考え方の人が多い。ある面から見ればそれは正しい。モノづくりでうまくいかないことをアカデミックに解析して改善すればいいと言う。言いたいことはわかるが、おいらはモノづくりはそういうものじゃないと考えている。

誰が作っても簡単にできるようなものであれば別だけれども、ちょっとチャレンジになるようなモノづくりにもっとも必要なのは情熱なんじゃないかと考えている。「絶対に作ってみせる」という情熱。しかもぐうの音も出ないほどの美しいものを作ろうという情熱が日本のモノづくりの原点にあるんじゃないだろうか。そういう面が中国や韓国との違いになっている。中国や韓国ではすでにあるものを真似て作ることは出来るけど、そこに魂が籠っていない。だから粗悪品があたり前のように出まわってしまう。

日本のモノづくりは設計者が図面に魂を吹き込み、そして加工する人が図面を読み取り魂を受け継いで製品を作る。それが世界に誇る日本のモノづくりだ。ところがここ最近は「形にさえなってればいい」「可能な限りコストダウン」ということが企業の至上命題になりつつある。そして魂の入っていない図面を描く人が増えつつある。

いま書いたことを理解できるエンジニアっていったいどれだけいるのだろう。もちろん、企業が生きていくためにむやみな高品質は避けなくてはいけない。日本企業もオーバースペック病にかかっていた時代があった。「こんなに品質がいいのだから売れるはずだ」という間違った思想が蔓延していた。失われた20年からなかなか抜け出せなかった理由はそこにもあるとおいらは考えている。

ただ、それと製品や図面に魂を込めないこととはまったく次元が違う。いや、オーバースペックはそれはそれで魂が籠っていない証拠でもある。本当に情熱をもって向き合った製品はオーバースペックにはならない。オーバースペックになるのは設計に自信がないからだ。製作に自信がないからだ。

この情熱とアカデミックが融合できれば最高のモノづくりができる。ところが、理由はわからないけどアカデミックな考えが入ってくると情熱はしぼんでいく。情熱のような数値化できないものとあらゆるものを数値化しようというアカデミックな思考はかなり相性が悪いのかもしれない。おもしろいことに効率を追求すると情熱はどうしてもしぼんでしまう。だからなのかはわからないが、職人さんは数値化を嫌う人が多い。

とまぁこういうことを職場で言っても、おそらく数人しか理解してもらえない。そしてこの考え方はおいらの中では正しいけど、誰にでもどの会社でも正しいわけではない。ただおいらがエンジニアとして生きてくうえで原点になる考え方なだけだ。情熱を持たないでモノづくりをするつもりもないし、自分の設計に情熱を持てなくなったら、おいらはそこで設計の仕事は辞める。定年前だろうが職場での待遇が良かろうがそういうことではない。

それは仕事だけではない。情熱を持てないことと向き合うことは絶対に受け入れられない。昔はよかったみたいな慣れ合いではなく、いまよりも一歩でも前に進もうとする気持ちを大切にしたい。マラソンだって情熱があるから続いているし、まだまだ成長している自分を感じることが出来る。一歩たりとも惰性で走ることは考えられない。そうやって自分自身の人生に魂を吹き込む。それがおいらの生き方だ。

周りからしてみれば本当にめんどくさいやつなのは知っている。でも物分りのいい人間にはなれない。そういうことは頭のいい人たちにまかせようと思う。やる前から無理だとか冗談で口にしたとしても、その裏では「やってやろうじゃないか」という気持ちを持ち続けたい。情熱のないモノづくりに未来はなく、情熱のない走りに栄光はないのだから。

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