趣味ではなく人生をかけてやりたいことを追求すべきだ

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若いころ、会社の先輩に「趣味を持った方がいい」と言われたことがある。そのころわたしは仕事で100時間近い残業があり、派遣社員のためのサイト運営と神奈川県リーグでのフットサルをしていて、とてもじゃないけど趣味に時間をかける余裕なんてなかった。派遣社員のためのサイトでは連日悩み相談があったし、毎週メルマガも書いていた。フットサルの練習は週に3回、平日は帰宅すると0時をまわっており、体が興奮状態のためほとんど寝付けずに朝を迎えていた。もちろん仕事で手を抜くようなことはしなかった。趣味というのはよほど暇な人が行うことなのではないかと思っていた。

それから年月が経って、わたしも趣味を持てるようになったかといえば、あいかわらずブログも含めて1日に2時間以上の記事作成時間があり、マラソンの練習も基本的にオフはない。サイト運営もマラソンも趣味ではないかと思われるかもしれないけど、両方とも趣味ではない。そもそも趣味とはなんなのだろうか。Wikipediaによると次のように定義されている。

人間が自由時間(生理的必要時間と労働時間を除いた時間、余暇)に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。道楽ないしホビー(英: hobby)。

マラソン練習は決して好んでやっているわけではない。走るのは好きだけれども練習はただひたすらにきつい。わたしが走り続けるのは道楽ではなく、むしろ走ることが人生なのだと感じているからだ。もちろんそれで生計をたてているわけではないのでプロではない。アマチュアには違いないが、体との対話を行ったり、自分の限界に挑むことは俗にいう趣味とは対局にあるのではないだろうか。

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派遣社員のためのサイトや万里の長城マラソンのサイト、ブログというのも趣味だとは考えていない。自分自身の中にインプットされた情報をわたしなりに解釈を加えてアウトプットを行う作業で、楽しいからやっているというよりも、やらなけれないけないと感じているからやっている。誰も望んでいないかもしれないけど、表現者のひとりとして情報を提供したいという生き方のひとつがWebサイトの運営なのだ。

あえて趣味をあげるとすれば、プラモデル作りみたいなものはある。ただ、年にひとつかふたつ組み立てる程度だ。それ以上の時間を確保できない。1日に1時間もプラモデルに時間をかけるぐらいなら記事をひとつでも書かなくてはならないし、1キロでも多く走りたい。わたしがプラモデルを組み立るのは強制的に休養を取らなきゃいけないときだけなのだ。

先日合った友人や知人が「趣味を持ちたいと思っているけど…」と言っているのを立て続けにきいた。そのときはそういうものかと思ったけれども、いま思うのは本当に趣味は必要なんだろうかということだ。無趣味の人間はつまらないという風潮があるけど、趣味に没頭するのもたいして変わらない。男なら趣味を見つけるのではなく人生をかけてやり遂げたい何かを見つけるべきじゃないだろうか。別に世界を変える必要はない。自己満足なんだけれども、それが生きるってことじゃないだろうか。

それはひとりの人を愛し続けるということかもしれないし、自分の子を一人前に育てるというのでもいい。世界中を自分の目で見てまわるということでもいい。なんだっていい。大切なのは自分がどう生きたいのか、何をして生きたいのかを考えてそこに向かってがむしゃらに進むということだ。そこに趣味が入り込む隙間はない。少なくともわたしの理想はそうであるし、趣味などなくてもいいと言いつづけるのだろう。

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