忘れていくことを恐れるのではなく、自分の糧として生きていく

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3月11日は日本人にとって忘れられない日。でも、その記憶はゆっくりと薄れていきます。東日本大震災のあとも日本国内で様々な自然災害があり、意識がそちらに移ってしまうのは仕方のないことです。

わたしにとっても3月11日は特別な日ではあるものの、その意味が変わりつつあります。あの日以前の3月11日は、岩手で暮らす大切な人の誕生日を祝うための1日でした。

震災当日も「誕生日おめでとう」のメッセージを送っていましたが、その数時間後に「大丈夫?」のメッセージが重ねられました。幸運にも大きな問題はなく「大丈夫」との連絡があり、心から安心したのを覚えています。

ただ、翌年に「誕生日おめでとう」のメッセージを送るべきかどうかかなり悩みました。

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きっと彼女にはわたしには分からない苦しみや葛藤があったことでしょう。彼女だけでなく、東北に縁のある人にとっては、笑って過ごすことが難しい1日。

数年後の3月11日、彼女は入籍しました。それだけで、この日がどれだけ特別な1日なのかが伝わってきます。

わたしにとって大切な人ですが、もう20年も前にお付き合いすることもなく当たって砕けた相手です。ちょっと歪な関係ですが、20年も好きでいられるのはそれはそれで良かったのかなと。

それはともかく昨年に久しぶり再会したこともあって、今年の3月11日は震災前の大切な人の誕生日を祝うための1日という感覚を取り戻すことができました。

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もちろん、あの日のことも思い出します。でも、以前のように考えすぎて深いところまで落ちていくことはありません。自分が何かをしなくてはなんてことも思いません。

あの日にあったことを思い出すだけ。

ちょっと薄情なところがあるのは自分でも分かっています。でもわたしは世界を救える人間ではありません。わたしにできるのはいつだって目の前にいる1人とまっすぐに向き合うことだけ。

なのに、ここまではいろいろと無理をしてきました。被災地だからという理由でマラソン大会に出場するというのは、それの最たるものだったかもしれません。決して悪いことだとは思いませんが、わたしらしくない行動です。

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8年経過しても復興はまだ道半ば。

でも、8年というのは短い時間ではありません。わたし自身も大きな変化がありました。あのとき姉のお腹にいた子は、父の生まれ育った松山で伸び伸びと暮らしています。毎日設計図面と向き合っていたわたしは、走ることと書くことを仕事にしています。

あの日のことを忘れてはいけないとと同じくらい、それぞれに8年という時間が経過している事実も忘れてはいけません。

きっとあの日に夢を失った人もいて、絶望の淵に立たされた人もいる。でもきっとその人たちも前に進んでいる。わたしは人間のそういう強さを信じています。

忘れていくことを恐れるのではなく、自分の糧として生きていく。

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自分にできることがあるならもちろん行います。でもやっぱり、わたしがするべきことは今日を全力で生きることだけです。どこで終わったとしても悔いがないように生きる。

わたしがあの日学んだのはそういうことです。

そのためには、目の前にいる人とまっすぐに向き合うこと。目の前の仕事に集中すること。そして、自分の周りにいる人たちにいつも感謝すること。

簡単ではありませんが、8年経過したいまだからできるような気がします


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