名伯楽・小出義雄さんが遺したもの

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1939年4月15日に千葉県に農家の子として生まれる。この年の9月に第二次世界大戦が勃発している。日本が真珠湾攻撃をするにはその2年後のことですが、世界はすでにきな臭い空気が漂う時代。

戦争が終わったのは6歳の夏。どんな幼少時代を過ごしたのかは知りませんが、今のように何でもある時代でなかったのは間違いありません。そんな環境で出会った陸上競技。

1度は実家の農業に従事するものの、22歳で順天堂大学に入学し、箱根駅伝も3度走っています。フルマラソンのベストタイムは1965年の別府大分毎日マラソンで記録した2時間26分46秒。

1965年は福岡大学の重松森雄さんが、2時間12分0秒で世界記録を更新した年。その1年前にアベベ・ビキラが東京オリンピックで世界記録の快走。日本中がマラソンに盛り上がっていた時代だったことは容易に想像できます。

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そして日本が戦後で最も勢いが合った時代でもあります。

オロナミンCが発売され、プルタブ式の缶ビールが誕生した年でもあります。きっと今の時代の若い人たちは、プルタブがよくわからないかもしれません。酒豪の小出義雄さんもきっとプルタブに指を通してビールを飲んでいたのでしょう。

ただ、小出義雄さんは陸上選手ではなく指導者の道を選び、千葉県の公立高校教員になります。

世間的に注目を浴びたのは、1986年に全国高校駅伝で市立船橋高校を当時の高校記録で優勝に導いたとき。もちろん、それまでにも知る人ぞ知る存在。

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この優勝が小出義雄さんの人生を大きく変えることになったのは間違いないでしょう。誰もがそのまま高校生の指導者として定年まで教員を続けると思っていたところ、1988年にリクルートランニングクラブに就任します。

ずっと型破りな人だったような気がします。

その後は有森裕子さんや鈴木博美さん、高橋尚子さんといった世界で戦えるランナーを多く育てたのはわたしが紹介するまでもないでしょう。

とても明るいキャラクターで、ときには高橋尚子さんよりも注目されることもありましたが、競技に対しては真摯に向き合い、そして多くの市民ランナーに走る喜びを伝え続けてきました。

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わたしですら、マラソンを始めたときには、小出義雄さんの言葉に影響を受けています。直接指導を受けることはありませんでしたが、ストイックになるだけがランニングではないということを教わった気がしています。

わたしのラン仲間には、小出義雄さんが市民ランナーにマラソンの指導を行った小出道場の門下生がいますが、それぞれに個性があり、しっかりとした走りをします(速さは人それぞれなので……)。

そうやって直接指導を受けた人もいれば、わたしのように文章や映像で影響を受けた人も大勢います。小出義雄さんが指導した選手から間接的にその襷を受け継いだ人もいるでしょう。

そう考えると、名伯楽が遺したものは決して小さくありません。

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影響力が強いからこそ、わたしの想像をはるかに超えた苦労もされたことでしょう。プライバシーもあってないようなもの。でも、人前では常に笑顔でいるわけです。

わたしは速く走ることはできませんし、誰かに影響を与えるような人間でもありません。ただ、小出義雄さんのように笑顔で人を惹きつけるような生き方をしたいものです。

ちなみに、大人気のマラソン大会である東京マラソンは、もともと小出義雄さんが夢だと語っていた「銀座マラソン」が始まりです。市民ランナーに楽しんでもらいたいという、たった1人の情熱から始まった東京マラソン。

人を動かすのはいつだって笑顔と情熱だということを教えてくれた名伯楽。引き継ぐなんておこがましいことは言えませんが、わたしなりに笑顔と情熱という襷を受け取ったつもりで、これからも迷うことなく1歩ずつ前へ。


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著者:小出義雄
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