世の中からイジメがなくならないなら

世の中からイジメはなくならない。これはもう絶対と言っていい。誰もが加害者になる可能性があり、誰もが被害者になる可能性もあります。人間が集団で生きていこうと思ったときに、マウントの取り合いは常にあり、誰もが優位に立ちたいと思うから。

現実的ではありませんが、イジメを最小限に抑える方法はあります。イジメが確定した場合のリスクを最大限にすれば、イジメをする人間は減ります。そのリスクをどこに設定するのかは議論が必要ですが。

少年法などなくして「執行猶予なしの無期懲役」にすれば、あからさまなイジメはなくなります。人権とかいろいろ言い出す人もいると思いますが、イジメというのはやらなければいいだけのことです。

わたしはこれまでも「人間は自殺以外は何をしてもいい」と言ってきました。人を殺してもいいのかと聞かれますが、大切な人を殺された人がいて、その人が復習のために殺人を犯すのを、わたしは止めることができません。

イジメというのはかなり曖昧な表現です。昔のように暴力的なイジメは分かりやすいのですが、例えば「無視」するというのもイジメになります。暴力を振るいたくなる気持ちを抑えて、無視をしたらそれもイジメになるわけです。

わたしの友人の妹さんが下記リンク先のようなイジメにあい、相談を受けたことがありますが、大人になってもイジメというのもはあります。

京丹後市で暮らしている人に知ってもらいこと

「みんなと仲良くしなくてはいけない」という考え方が、そもそも間違っているのではないかと思うことがあります。クラスの全員と仲良くする。学校の全員と仲良くする。どう考えても不自然です。

人間ですから、考え方が合う人もいれば、合わない人もいます。合わない人とも仲良くしなくてはいけないというのが学校教育の基本。でも、仲良くしなくてもいいのなら?関与しないという選択肢があったなら?

わたしはブログで何度か、自分のイジメ体験について語っています。中学時代は、期せずしてイジメが起きる原因となり、高校時代はイジメられる側に。いずれも暴力によるものではなく、無視するという形のものです。

中学の時はそれなりに仲の良かった同級生と、ちょっとしたことが原因で口を聞かなくなりました。本来ならこれは個人的なケンカだったわけですが、当時のわたしの立場が強かったのもあり、その同級生が周りから避けられ始め、最終的には無視される存在になってしまいました。

これもひとつのイジメです。その同級生に対して、申し訳ない気持ちがないわけではありませんが、こんなことはどこでも起きることです(自分が悪くないとは言いません)。実際に高校時代はわたしが無視される側です。

因果応報ではありませんが、これもちょっとしたことがきっかけで、クラスから完全に浮いた状態になってしまいました。だから言えます。この程度のことはどこでも起こることであり、イジメはなくならないと。

でも、自分が無視される立場になって分かったことは「耐えればいい」ということでした。いや、耐える必要すらありません。自分が情熱を注げるものを1つ持ち、それに打ち込んで1日1日を過ごしていく。

無視されていることを気にしないで、徹底して打ち込んでいく。そうすれば、自然と人がついてきます。気にかけてくれる人も増えていきます。2年になるときにクラス替えがあり、イジメはそこで終了です。

わたしにはもう1つの選択肢もありました。それは「逃げる」ということで、イジメの対処方法としてはとてもスタンダードなものです。学校を辞めてもいいかなと思いましたが、その道は選びませんでした。

高校になって始めたサッカーが楽しかったから。
その状況でも味方になってくれた人がいたから。

結果論からいえば、逃げなかったのは間違いではありませんでした。ただ、辞めていても人生は続いたわけで、その後の未来がどうなっていたかは分かりません。そっちの未来にも楽しい未来が待っていたかもしれません。

イジメはなくならないから、イジメられたときには逃げるが正解だとは思います。程度の問題ではありますが。暴行を受けたり、金銭を請求されるようなイジメだったら耐える必要はありません。

殴られて殴り返せないなら逃げればいい。

ただ、それだけが解決策ではないということも知っておいてもらいたい。イジメをするような人は相手にせずに、自分が人生をかけて打ち込みたい何かに全力で取り組むという選択肢もあるということを。

このブログはイジメで悩んでいる人に届くかどうかは分かりません。でも、もしかしたら苦しんでいる誰かが読んでくれるかもしれないと思って、文章にしておきました。


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著者:中野 信子
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