発想の転換?衝撃の事実?内臓は体の中にあるのではなく、体の外にある

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すごくどうでもいいけど、感心させられた話。

人間の内臓って、人間の外側にあるという考え方に衝撃を受けた。人間の口から内臓そして肛門まではつながっているわけで、たとえばチクワの内側にあたる。そしていま見えている手や足や顔はチクワの外側。ようするに手や足の皮膚は内臓とつながっている。だから内臓は臓器でありながらも体外なんだと言われて、その発想にかなり驚かされている。ちなみに画像と今日の話に関連はまったくない。

あたりまえだと思う人もいるんだろうけど、一般的に考えて内臓は身体の内側にあるよね。実際、内側にあろうが外側にあろうがどっちでもいいんだけど、そういう考え方のできる人がいるってことが、もしかして38年間生きてきて最大の衝撃かもしれない。

あくまでも感覚の話なんだけど、内臓が身体の外側にあるというふうに考えると、食べ物を消化して吸収してという仕組みがしっくりくる。食べたものは基本的に通過しているだけ。その過程で皮膚から栄養や水分を吸収している。そういうイメージを持ちながら走ると、なぜかいつもよりも走りやすかった。気のせいかもわからないけど、これまで体のことを考えるときに体の表面と見えない軸だけを意識していたのに、内臓のことまでうまく立体的にイメージできるようになって、体が安定しやすくなる。

だからどうだということはない。それができれば健康になれるわけでもなければ、超能力に目覚めるわけでもない。ただ、そういう発想は大事にしたいし、いま持っている感覚も大事にしたい。

あたりまえだと思っていたことがあたり前ではなかったり、あたり前でなくなったりすることが世の中にはいくらでもある。わたしが小学生の頃は運動中に水を飲むなんてありえなかったのに、今では熱中症対策でむしろ強制的にでも飲まされる。練習中に水を飲ませないことが正しいことだとは思わないけど、そういう環境だからこそ学べることもあったし、強くなれたのも事実。

世の中に絶対的な正解というものはない。発想を変えれば裏が表になり表が裏になる。立場が変われば正義が悪になり、悪が正義になる。だから、どちらの発想もできるような人間でいたいと思う。そのうえで自分なりの正解を持ち、相反する思想も認められる器の大きな人間でいたい。

とはいえ、まだ自分の中で内臓が体の外側であるという発想を受け止めきれず、むしろそのことを考えるだけでなぜか気持ちが高ぶる。こういうことがあるから人生は面白い。絶対だと思っていたことがある日突然くつがえる。いや、難解だと思っていた問に対する解が突然降ってくような感覚か。

もっともこんなことで興奮しているのはわたし1人ぐらいなもんだろうが。

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