叱ることの難しさ、厳しさという錯覚

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昨日、今日と2日続けて外食で同じようなシュチュエーションに出くわした。客に聞こえるような声で、店の先輩が後輩を叱責している。よくあることといえばよくあることなんだが、よくあってはいけないことのような気もする。上の物が下の者を教育するというのは当然のことなんだけど、それを客に聞こえるところでするのはサービス業としてはどうだろうか。どちらもわりとしっかりしたお店だったので、職人の世界の厳しさといえばそこまでだけれども、何のための厳しさなのかということはわたしにとっても他人ごとではない。

昨夜のお店ではお客さんへの料理を出すタイミングが悪いという叱責だった。お客さんに不快な思いをさせたことを分からせるために怒ったのだろう。で、それを聞いたわたしのような関係のない客がどういう気持になるのかは考えられないのだろうか。人を叱るというのはほんとうに難しい。タイミングを間違えると叱る意味すらなくなってしまう。タイミングを失することのないように叱ろうと思うと、今回のように周りに不快な思いをさせることもある。

人を育てるということはほんとうに難しい。わたしが最も苦手とする分野だ。わたしが社会人になるときに最初に入った会社では「相手を叱らないのは本当の意味での優しさではない」と教えられた。嫌な思いをさせてでも分からせておかないとあとでもっと大きなミスを招くことになるということらしい。だからときには厳しく叱ることが本当の優しさだと学んだ。

なるほどと思うところはある。
ただ、仕事というものはそんなに厳しくあるべきものなのかという疑問は常にある。

どんな仕事でも本当はもっと笑いながら楽しくやるべきじゃないかと思う。以前、表参道のパン屋さんで朝ごはんを食べているときにパン職人の女の子たちが焼きあがったパンを「ほら、こんなに上手く焼けたよ〜」みたいな感じで笑顔で見せ合っているのを目にして、仕事はこうあるべきだよなと感じた。そんな甘いことではこの競争社会では生き抜いてはいけないと言う人もいるだろうが、その人たちの思う厳しさってズレているのではないかとも思う。

厳しさはそれぞれ自分の中にだけあればいい。

それぞれの仕事を極めていくのはとても厳しく長い道のりだ。そう、長い道のりなのだからもっと肩の力を抜くべきなんだと思う。もっともっと笑いが耐えない職場が増えるとわたしはうれしい。少なくとも食べ物やさんであればそういうお店に行きたいと思うし、昨日今日と訪れたお店には2度と行かないだろう。味のよさだけがお店の価値じゃない。仕事ができるかどうかだけが人の価値じゃないのだから。

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