常識の壁に挑む人こそ美しい〜STAP細胞騒動に思うこと〜

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どうでもいいと思っていたんだけど、とつぜん頭に浮かんだので書いておきます。STAP細胞に関する最近のドタバタ騒動について。どうでもいいと思っていたのは、STAP細胞にいまいち興味もわかなかったし、自分に関係することとは思えなかったからです。持ち上げておいて立ち上がれなくなるまで叩くのはいつものマスコミのやり方。むやみに有名になんてなるもんじゃないというぐらいしか感じていませんでした。

とつぜん浮かんできたのは「ガリレオも小保方さんみたいな立場だったのかな」ということ。地動説を放棄させられた裁判の後、”E pur si muove”(それでも地球は動く)とつぶやいたことはあまりにも有名です。その裁判は1633年に行われたので、たった400年前には天動説が世界の常識だったのです。誰もがそれを疑うこともなかったなかで、ガリレオは地動説を唱えたわけです。

STAP細胞の有無が焦点になっているのか、論文の正しさが問われているのかわかりませんが、もしかしたら400年後の世界ではSTAP細胞の存在が常識になっているかもしれません。そして400年後の人類に「当時の人間は無知だった」と思われているかもしれません。

だからSTAP細胞があるのだとか、ないのだとかということではなく。そういう可能性があるんだろうなというだけのことです。常識ではないことを唱えることはすごく勇気がいります。頭がおかしくなったのではないかと思われることもあるでしょう。でも、世界を変える人たちはみんな、常識を常識と考えていない人たちです。

多くの変わった人の中のほんの一部の人だけが成功者になります。じゃあ、成功した人だけが正しかったのかというとそうではないでしょう。花開かなかった変わった人たちだって運が悪かっただけかもしれません。実際にガリレオは当時異端児あつかいされ、後世になって評価されたわけですから。

繰り返しになりますが、わたしはSTAP細胞があろうがなかろうが、どっちでもいいんです。小保方さんが正しいのか理研が正しいのか、マスコミが正しいのか、そんなことはさらにどうでもいいんです。ただ、こうやって騒がれることでか変わった人が減っていくかもしれないと思うと、とてもさみしく思うのです。

人と違うことをしたり、発言したりすることで叩かれる。そういう社会では波風立てずに無難に暮らすことが一番という発想になります。バカになりきれる人がどんどん減っていきます。そうはなって欲しくない。ただそれだけを伝えたい。

失敗をおそれず、周りの目も気にせず自分を信じてただ突き進む。そういう人がひとりでも多い世の中であってほしい。常識の壁に挑む人こそ美しい。社会全体がそうなる必要はないのですが、世界を変える可能性がある変わった人たちを見守れるような社会であってほしいと願わずにはいられません。

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