振り切られないようにしっかりついていく覚悟はできている

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初めてのウルトラマラソンはあっけなく完走できたと書いた。ちょっと自慢したい気分にもならないほどあっけなく、全てが想定の範囲内でゴールした。痛みも辛さも苦しさも、全部想定内だった。それでもとりあえず自分なりに完走できた理由を考えてみることにした。わたしが天才であると理由付ければそれで終わる話だが、残念ながらわたしは天才ではなく、凡人の中の凡人だと自負している。少なくともマラソンに関しては。

あまりにもあっけなかったので、実は完走率が高かい大会だったのではないかと推測してみた。飛騨高山ウルトラマラソンのサイトに公式結果が出ているので見てみると、100km男子、出走数1322人、完走数938人、完走率64.3%とある。スタート時に並んでいた人たちの1/3が完走できなかったことになる。ウルトラマラソンとしてこれがどれぐらいのレベルにあるのかはわからないが、決して簡単なレースではないことはわかる。

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そもそもウルトラマラソンに出る人はフルマラソンの距離では満足できなかった人たちで、平均的なランナーと比べて走力は高い。そのうえキツイと言われる飛騨高山に挑む人たちは自他ともに認める走力自慢の人たちに違いない。そういう人たちの1/3が完走できないと考えるとやはり飛騨高山ウルトラマラソンは難しいことがわかる。

ではなぜ、わたしが完走できたのか。

それはわたしが置かれている環境にある。アメリカの起業家であるJim Rohnの言葉に次のようなものがある。

「あなたはもっとも多くの時間をともに過ごしている5人の平均である。」

わたしたちは、自分の周りにいる人から大きな影響を受けている。5人の平均かどうかはともかく、少なくともわたしの周りには何人ものウルトラランナーがいるし、南極を走った人も砂漠を走った人もいる。UTMFやSTYを完走した人もいる。そういう人を身近に感じることができるので、自分もウルトラマラソンぐらいは走れるかなと思うのだ。信じられないことに「たった100km」と思ってわたしはスタートラインに立っていた。

人間は自分自身の思考に行動を左右される。そして、その思考は身近な周りの人たちの影響を受けている。

ハイレベルな選手が身近にいれば自然と自分も速くなる。逆に目標とする人や尊敬できるような人がいない場合、成長するスピードは著しく低下してしまう。斎藤佑樹と田中将大の現状を見ればわかりやすいだろう。お山の大将を望んだ選手はチヤホヤされた結果、大海に出た途端に溺れてしまった。厳しい世界に飛び込んだ選手はその世界で揉まれ、いまでは大空を羽ばたいている。ぬるま湯では人の成長スピードはあがらないのだ。

もちろん、ぬるま湯に浸かるのが悪いとは言わない。そこに幸せを感じるならぬるま湯こそ最高の居場所だろう。ぬるま湯が好きな人に高みを目指せというのは正しくない。そうではなく、もし高みを望むなら厳しさの中に身を置いたほうがいい。どうすれば厳しさの中に身を置けるかは、実はわたしもよくわかっていない。気がついた身の回りにすごいランナーがうようよいたというのが正直なところだ。そして、その結果が100kmを「たった」と感じられるだけの走力なのは間違いない。

ずっと1人で走っていたら間違いなくウルトラマラソンに出ることはなかっただろう。ただ、ウルトラランナーになってみて感じるのは今までと変わらない自分だ。小さな器は完走しても小さいまま変わらない。唯一得たものは周りの人たちの存在があってこそできることがあるということを学んだことだ。だから、いまこの環境にいられることに感謝したい。そして、いつかはわたし自身も誰かに影響を与えられるような人になりたい。それまでは偉大な人たちの背中を追い続けさせてもらうことにしよう。

振り切られないようにしっかりついていく覚悟はできている。

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