不要なものを削ることで個性が見えてくる

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とうとうわが家から洗濯機がいなくなりました。約3ヶ月1度も使わなかったのでもう必要ないでしょうという判断です。洗濯機を使わずに洗濯をどうするのかというと手洗い。何でもかんでも手洗いです。最初は面倒くさくなるかなと思っていましたが、毎日のお風呂で洗っていると、もう体を洗うような感覚で少しも面倒ではありません。むしろ、毎日洗えるので衣類がいつもいい状態にあるような気がします。汚れも洗濯機とは比較にならないほどしっかり落ちます。

これで一般的な家庭にもわが家にもある家電は冷蔵庫とエアコンと扇風機ぐらいでしょうか。冬用にオイルヒーターとコタツもあります。逆に言えばそれぐらいです。テレビもなければ電磁レンジもない。掃除機も炊飯器もありません。それだけ持っていなくても一切不便ではありません。炊飯器がなくても羽釜でご飯は炊けますし、電子レンジがなくても蒸し器でおかずは温められます。テレビは…なくてもなんとかなるもんです。まったく見れないわけではありませんし。掃除機は1Kサイズの部屋には箒とちり取りのほうが効率よく掃除できます。

あったら便利だろうなというものが世の中にはいっぱいあります。最新のエスプレッソマシンがあれば毎朝美味しいコーヒーを飲めますし、パン焼き機があれば毎朝焼きたてのパンを食べられます。幸せそうな感じがします。明るい家庭な感じがするじゃないですか。でも、明るい家庭はパン焼き機やエスプレッソマシンがもたらしてくれるのではなく、それを使う人が作り出すものです。

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わたしがモノを減らしているのは生活をシンプルにしたいからです。モノが増えると選択肢が増えます。選択肢が増えると複雑になっていきます。それはモノだけではなく世の中のあらゆるものに言えることです。資本主義においてはモノが売れなければ発展はありえません。だから消費者にどんどんモノを売らなければいけないのですが、そのためにモノを売る側は歪んだ情報を与えてきました。選択肢は多ければ多いほどよいと。

そして、多くの情報を持てば持つほど優れているような雰囲気を作り出しました。その最高潮がバブル期です。インターネットが普及するまでは情報をどれだけ持っているかが、その人の優劣に直接影響を与えていました。最新のお店を知っている。有名人の情報を持っている。海外の情報を誰よりも早く入手できる。そういう人が優れている。そういう時代を今でも引きずっているので、情報は多ければ多いほどよく、選択肢も多ければ多いほどよいと勘違いしてしまいそうになります。

でも逆です。無駄な情報はできるだけ削り、選択肢は少なければ少ない方がいい。そうすることで個性というのも明確になっていきます。個性というのは不要なものをどんどんそぎ落としていくことで見えてくるものだとわたしは考えています。スティーブ・ジョブズのタートルネックとジーンズのスタイルはいい例です。彼は他のスタイルを捨てたことで、彼らしさを手にしました。

持たないことは決してマイナスではありません。足りないことによる工夫も生まれます。想像力が豊かになります。もちろん、不便なことはたくさんあります。でも「便利=豊か」でないことはあきらかです。もっともっとシンプルな生活を目指して、不要なものを削っていくつもりです。最後の残る「自分」がいったいどのような姿をしているのか楽しみです。

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