引き算の美学にある潔さと美しさ

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何を美しいと思うかは人それぞれなんだと思う。美人という意味だと叶姉妹を美しいと思う人もいれば、宮崎あおいを美しいと思う人もいる。ピカソの画を美しいという人もいれば、ゴッホの画を美しいという人もいる。美しさは数値化出来ないし、物差しもない。だから美しいと感じる人の生き方が反映されやすいのではないだろうか。ちなみにわたしがもっとも美しいと感じるのはレオナルド・ダ・ヴィンチの『ほつれ髪の女』、上にある写真がそれだ。

『ほつれ髪の女』は設計者としてのわたしの目指す最高の設計図面でもある。こいつは何を言っているのだと思うかもしれないが、わたしにとって設計図面は読み手へのメッセージだと考えている。そして絵画も見る人へのメッセージが込められている。少なくとも設計者だったレオナルド・ダ・ヴィンチにとって、設計図面も絵画も伝えるための手段だったとわたしは考えている。そのレオナルド・ダ・ヴィンチの最高傑作の『ほつれ髪の女』は最高の絵画であり、最高の設計図面であり、そしてそこに描かれている女性が最高に美しい女性なのだ。

昨日も書いたが、わたしはシンプルが好きだ。何も足さない、むしろ可能なかぎり引いていく。引き算の美学を理想としている。すべてを剥ぎとった姿が美しければ、それが一番かっこいい。だから、わたしは装飾品を身につけないし、腕時計も好きじゃない。衣類も可能なかぎりシンプルなものを選んでいる。sousouのスタイルが本当にシンプルかどうかという指摘はあるが、sousouのスタイルのなかでもシンプルなものをわたしは選んでいるつもりだ。ごちゃごちゃしたデザインのものはほとんど選ばない。

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もちろん、これは嗜好の問題なので、虎柄のTシャツが好きな大阪のおばちゃんはそれはそれでいいだろう。無印良品のシャツが好きな人もいれば、ミラノでオーダーメイドして作ったシャツ以外着れないという人もいるだろう。ブランド物を身にまとうことで自信が出る人だっている。だから人がどうだとかいうつもりもなく、自分らしさがどこにあるのか考えたらシンプルさの追求だったというだけのことだ。

そのシンプルの先にあるのが『ほつれ髪の女』なのだ。なにひとつ無駄がない。飾るものをすべてそぎ落としている。だからこそ美しい。

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引き算の美学というのは日本の文化の象徴だと思う。日本文化の特徴は空白にある。1点を強調するために他のものをすべて省いていく。レオナルド・ダ・ヴィンチは日本人ではないけど、『ほつれ髪の女』の美しさは『空白』の文化に通じるものがある。それとは逆に足し算の美学というのもある。これは西洋的な考え方で、どんどん華美を求めていくやり方だ。シャンデリアや豪華なカーテン。ソファやテーブル。アンティークや絵画。どんどんと際限なくモノが増えていく。西洋的であるけれども現代の日本はこれまで足し算の美学ばかり追い求めていたような気がする。

わたしも足し算の美学をよいことだと思っていました。でも、あるときそこに限界を感じた結果、引き算の美学を追求するようになりました。自分の本質を強調するために他のものを省いている人。何も足さない、むしろこれでもかというくらい引いていく人。そこに潔さと美しさを感じずにはいられません。

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