甲子園出場が人生における最高潮であってほしくない

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高校球児のプレーについてあれこれ言う大人が年々増えているように感じる。居酒屋であれこれ議論するぐらいならまだかわいいもんだが、公の場で選手のプレーを批判する人たちはよっぽど屈折した青春時代を過ごしてきたんじゃないだろうか。甲子園に出場するような選手は高校に入って急に野球をはじめたわけではない。物心がつくころから野球をはじめ、18歳までのほとんどの瞬間瞬間を野球のために使ってきた。彼らは自分の夢を叶えるために多くのものを手放してきたのだ。

だからこそ、正々堂々とプレーをすべきと言うかもしれない。彼らは何も卑怯な手を使っているわけでも、ズルをしているわけでもない。頭をフル回転して何をすべきかを考えて、全力でプレーしている。その結果として現れたプレーは彼らにとって、いまを闘う選手たちにとって決して不正なものではない。

もちろんいつだって正しいプレーが出来るわけではない。ミスも当然ある。でも彼らはまだ若いのだ。どんどん挑戦しているからミスもする。挑戦することをやめた人たちが、挑戦する人たちを非難することはみっともない。むやみに賛辞を送る必要はない。プレーの質を追いたいのならメジャーでも見ていればいい。彼らが見せてくれるのは純粋な努力の積み重ねのぶつかり合いなのだ。

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もうそれだけで十分だろう。勝った負けたも大事だと思う、プレーの質も求めることは悪くない。でもそれは選手たちが追い求めればいいだけで、わたしたちはそれらを楽しめばいい。プレーの良し悪しはビール片手に居酒屋でやればいい。

ほとんどの高校球児は3年の夏で野球だけを取り組む毎日に別れを告げる。進学するにしても社会人野球をするにしても、これからは社会との関わりの中で野球をしていくことになる。純度が下がると言うと語弊があるかもしれないが、野球漬けの生活を送ることはもうできないようになるのは間違いない。甲子園はそういう意味でひとつのゴールだ。そして、次のステップへのスタートでもある。

彼らもいつか甲子園を目指した時間よりも甲子園以降の時間のほうが長くなるときがやってくる。そのときに、彼らにとって甲子園とはなんだったのか聞いてみたい。数十年後、手元に残っているのは栄光だろうか、それとも後悔だろうか。願わくば、甲子園はただの通過点であってほしい。甲子園での試合以上に大きなものをつかんだ人生を送ってもらいたい。

多くのものを手放した結果つかんだ甲子園。それでも、甲子園出場が人生における最高潮であってほしくない。彼らはまだまだ高く飛ぶことができるし、高く飛ぶ必要がある。そんなことを感じた甲子園での時間でした。

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