北京マラソンに向けてようやくワクワクが始まってきた

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北京マラソンまであと3日だというのにまだコース図すら見ていないことに今日気がついた。実は受付の場所すら調べていない。ちょっと北京に慣れすぎている気がする。今年だけで3回目、通算で9回目だろうか。はじめて北京に行った時はこんなエキサイティングな街があるのだと興奮したのだが、いまとなっては大阪や福岡に行くのと気分的にはそう変わらない。もちろん言葉はほとんど通じないが、言葉が通じなくてもなんとかなることを知っているし、足りないことが旅を深くしてくれることも知っている。

何度も北京に行っているとさすがにもう行くところがないと思うかもしれないが、北京の街はとてつもなく広く、そして毎日変化している。1年前に訪れたところが同じ顔をしているとは限らない。わたしの大好きな南鑼鼓巷は原宿の竹下通りかと思うほど大勢の人で賑わっている。行列を作るのが嫌いな中国人がどこに行っても行列を作っている。地下鉄のマナーも良くなり、トイレも見違えるほどきれいになっている。北京はまぎれもなく国際都市と呼べるだろう。

中国や中国人が好きだが、中国人を信用しても中国という国を信用しきってはいない。信用しないというよりは信用していいほど腹を見せてくれないというか、中国という国は日本人にとって謎が多すぎるのだ。中国人は信用している。文化の違いから思わぬ食い違いが起こることもあるが、そんなものは日本人同士でもありえることだ。

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とはいえ、今回の北京マラソンは少し不安要素もある。1万人以上もの中国人に囲まれて走るというのはどういう気分なのか、そこで日本の国旗のついたハッピを着て走ることは危険ではないのか。しかも河童の格好で。でも、そこは中国人を信じるしかない。どんなことがあったとしてもそれは経験になる。そしてどんなことがあっても中国人と中国を嫌いになることはないだろう。まぁ罵声ぐらいは覚悟している。

そこで怖気づくようでは日中友好なんて言葉に出来ない。日本にいるときと同じ自分でいられないなら、それは中国の顔色をうかがっているわけで、それは上辺だけの付き合いのようなものだ。日本人とか中国人とか関係なく、わたしはわたしであり、その私を受け入れてもらえるかどうかはすべて自分自身の責任だ。

42.195キロのあいだにどれだけ多くの出会いがあり、どれだけ多くのドラマが待っているのだろう。どれだけの人がわたしに「加油!」と言ってくれるだろう。どれだけの人にわたしは「加油!」と声をかけられるだろうか。ひとうひとつの言葉が日本と中国の距離をほんの少しだけ近づけると信じて北京の街を駆け抜けるつもりだ。

オリンピック公園でわたしはどんな顔をしてゴールするのだろう。万里の長城マラソンとはまた違った感情を持って走る北京の街はわたしを歓迎してくれるだろうか。期待と不安でようやくワクワクが始まってきた。

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