大山を走りながら、美しさと強さについて考えてみた

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この週末も大山トレイルに行ってきた。いろいろモヤモヤしたものを山に持ち込んでしまったのだが、やはり山は偉大である。モヤモヤはすべて消えてしまい。それ以上に新しい気づきがあった。走っているときに考えていたのは「美しさ」とはなんだろうかということ。わたしは美しいものが好きだ。ただ、その美しさとは何なのだろうかといつもよりも少し深いところまで考えていた。

例えば少年や少女の持つ純粋無垢な心にはわたしは美しさを感じない。それらを可愛いと思うことはあっても、美しさという意味では違ってくる。持って生まれたものにはどうもわたしは美しさを感じないようだ。容姿についてもそうだ。国民的なアイドルだとかミスジャパンだとか、見た目で興味をもつようなことはない。

美しさとは違うのだが、強さというものも同じように持って生まれた強さというものにはまったく惹かれない。どんな競技や格闘技でも生まれ持った才能というやつが重要になる。ただ、その才能だけで生きている人に何の魅力も感じない。それらをすごいと思うことはあっても、その人に惹きつけられることはない。

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走りながら考えた。わたしにとっての美しさの定義は「人間の醜さに何度も直面し、つらく苦しい時間を過ごしながらも、それでも美しくあろうとすることを諦めない」ということになる。人生において信用していた人に裏切られたり、妬みなどからくるイジメなどがあっても、それでも美しくいようとし続ける。周りの人が不正するのを目にしたり、汚い言葉を使っても、自分だけは美しさを貫き通す。

そこにわたしは美しさを感じる。

純粋無垢な状態はまだ人間の醜さを知らないだけで、非常に危ういもの。そうではなく人生経験を積み重ねながらも、美しくあり続けることで磨かれるものが間違いなくある。わたしはそこに人間のすばらしさを感じるのだ。強さも同じ。何度も挫折を味わい、苦しみもがきながらも挑戦することを止めない。それがわたしにとっての強さの定義になる。

マラソンを走る人たちにこの強さを感じることが多々ある。42.195キロという距離の中で、気持ちよく走れる時間は本当に短い。もしかしたら一度も楽しく感じないままゴールを向かえることだってある。何度も何度も走るのをやめようとしながら、それでもゴールを目指し続ける。

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タイムや順位は関係ない。苦しみもがきながらゴールを目指す。時には歩いてしまうかもしれない。立ち止まってしまうかもしれない。それでもゴールすることを諦めない。そういう強さを持っているランナーをわたしは愛している。誰よりも速くゴールする必要はない。ゴールすることを諦めない。それだけで尊敬できる強さがそこにあり、同時に美しさも感じる。

明日、何人かのランニング仲間がフルマラソンに挑戦する。わたしにできるのは遠くから応援することだけ。でも、仲間たちが強さを見せてくれると信じている。美しくゴールする姿だけを何度も何度も頭のなかで描いている。正直少し嫉妬している。レースを終えて強く美しくなる、彼ら彼女らの姿に。わたしだけ置いていかれている気持ちになる。負けてられない。

 

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