これからの時代の中心となる20歳の君たちへ

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成人の日だというのに出社日ということで、街中の賑やかさを感じることは出来なかったが、いまごろ新成人が居酒屋を出て2次会を楽しんでいる頃だろうか。ちなみにわたしは成人式に出ていない。大学入学時に家族も引っ越してきたので、成人式は育った箕面ではなく大学のある藤沢でということになるのだが、古くからの友人のいない成人式に意味はなかった。

成人したからといって何が変わるというわけではない。今日は昨日までの延長線上にあり、明日もその先へと続いている。法的にはいろいろと自由になるのだが、ほとんどの新成人は学生ということで本当の自由を手にするのはまだ先だろう。それでも可能性はまだ無限大にあり、何者にもなることができる原石であることには違いない。

磨き方しだいでまだ黒にでも白にでもなることができるのだ。先に成人となったわたしたちは、彼らや彼女らが自分を磨くための助けをしなくてはならない。アドバイスを送るだけではなく、自分の背中を見てもらうことで、そういう生き方もあるのだと気づいてもらうことも必要になる。

わたしが生きていくうえで大切にしていることがいくつかある。新成人へのアドバイスというには稚拙ではあるが、そのうちのひとつについて今日は書いておこう。

わたしは自分以外の人がどのような生き方をしようが正直どうでもいいと考えている。それぞれの生き方考え方を尊重し、間違っても自分のやり方を他の誰かに押し付けてはいけない。ただ、どうしても譲れないことがある。それは「嘘をつくこと、人をだますこと」だ。

もちろんわたしにだって人に言えないことがいくつかある。墓場まで持っていかなければいけない秘密もある。それとは別に、安易に嘘をついたり、ごまかすことでその場をしのごうとする人を見てしまうと、どれだけ大切な人であってもわたしはその人から距離を置くことになってしまう。

社交辞令なんていうものも一種の嘘やごまかしだろう。ある人が転勤などで地方へ行くときに「絶対遊びに行くよ」と多くの人が口にする。ところが実際に行く人はほとんどいない。行く気がないのになぜ「絶対遊びに行くよ」などと口にするのかわたしには理解できない。

これは信用に関わる話である。目の前でAさんがBさんに嘘をついたとしよう。一緒にいたあなたがその嘘に気づいたとき、あなたはAさんにどのような感情を持つだろうか。「Aさんはきっとわたしにも嘘をつく、Aさんは信用出来ない」と考えてしまわないだろうか。逆にどんな小さな嘘であっても、嘘をついた時点であなたはAさんになってしまう。

バレなければ大丈夫?世の中にバレない嘘など存在しない。むしろバレないために嘘を重ねることになる。そんな生き方かっこ悪すぎるだろ。

簡単に嘘をつく人はいつも自分以外の人を疑ってしまう。自分が適当なことを言うから他の人もそうだろうという思考回路になってしまう。生き方が疑心暗鬼になってしまうのだ。泥棒はいつだって自分の荷物が盗まれるのではないかという不安の中で生きている。そして何より自分自身を信じられなくなる。

これから社会にでる新成人の人たちは、嘘やごまかしを可能なかぎり排除して欲しい。その場しのぎなんてしなくていい。誰かを怒らせてしまいそうなときは素直に謝ればいい。社交辞令なんて覚えなくていい。できることを口にし、できないことはできないと言えばいい。信用はそうやって築いていくものだ。

そうやって築いた信用は一生の財産となる。信用で結ばれた仲間がいること。自分自身を信用できること。そのふたつさえ揃っていれば、これからの人生で恐れるものはなにひとつとして存在しない。

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