「あれ?いつもと違うな」という感覚を大切にしておきたい

PB222765

「自分の限界がどこまでかを知るために僕は生きている訳じゃない」スピーカーからMy Little Loverの曲が流れてきた。なぜかここ数日、流れてくる邦楽の歌詞に心がざわめく。それは決してスピーカーを交換したからだけではなく、いまの自分が歌詞に反応しやすい状態なのだということなのだろう。

わたしはずっと物書きに憧れていた。こうやって出来る限り毎日ブログを書いているのも、心のどこかで物書きの真似事をすることで満足感を得ようとしているのかもしれない。もっともここまで続けていると、毎日歯を磨くようなもので書かずに1日を終えると気持ちが悪い。

物書きに憧れ、毎日少しでも何かを書こうとすると、どうしても言葉には敏感になる。誰かと話をするときに、自分の言葉が相手にきちんと伝わっているかを常に考えて、相手から発せられた言葉にどんな思いが込められているのかを感じ取る。別にそれを意識してやっているわけではなく、ほとんど無意識に近い。

わたしは言葉には力があるのだと信じている。それを昔の人は言霊と呼んでいた。良い言葉を発すると良いことが起こり、悪い言葉、不吉な言葉を発すると凶事が起こる。実際は逆なのかもしれない。良いことが起こりそうなとき人は良い言葉を発し、凶事を感じたら人は不吉な言葉を発しる。

歌の歌詞や、小説の中の一文に敏感に反応する状況はどう考えればいいだろう。これまでに何度も聞いてきた曲、何度も読んできた文章ですら、いつもと違う感じを受ける。良いことなのか悪いことなのかすらわからないが、心がどうにかしているのは間違いない。だから少なくとも悪い言葉を発しないようには気をつける。

いつもと違う感じは他にもある。街を歩いていると人にぶつかりやすくなっている。これまでそんなことはなかったのだけれども人の流れに乗れていない。人混みの中をうまく歩くことが出来ない。単純に集中力が欠けているだけか、それとも水族館で異常な行動したマグロたちのように何かを感じているのか。

毎日せっせと何かを手放しているのも、ある意味異常な行動ではある。モノを手放しているのは理由があってのことだが、理由は後付に過ぎず、実は何か感じるところがあってそうしているのかもしれない。

こういう感覚はだいたい気のせいで終わるのだが、それはそれでかまわない。でも、「あれ?いつもと違うな」という感覚は大切にしておきたい。人間も動物なのだ。本来持っている野生の勘のようなものが何かに反応している可能性だって否定出来ない。何に反応したかは後にならなければわからない。

わたしの中で、もしくはこの地球上でなにか大きな変化が起きていたとして、それを感じられたとしても実際にわたしができることなどほとんどない。でも気をつけることはできる。できるだけ良い言葉を発し、異常だと思えることを正常に戻すための努力をすればいい。ひとつひとつをきちんとする。もっともそれが一番難しいのだけれども。

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