トップに立つものに求められるのは判断する力

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イスラム国が日本人2人を殺害すると脅迫する事件が起きている。日本に対して72時間以内に身代金を払えと要求している。わたしは安部首相がいったいどのような対応をするのかについて注目している。日本のトップが下す判断というのはどのようなものなのか、人の上に立つものはどうあるべきなのかが気になる。

実際に捕まった2人の安否についてはわたしがどうこう言うことではない。2人ともそうなることを覚悟していただろうし、彼らが本物の男なら身代金によって生き延びたことを悔やみながら生き続けることになる。それはもう生きているとは言えないのではないだろうか。

それとは別にわたしはトップに立つべきものは独裁であるべきだと考えている。独裁と言うとヒットラーのようなマイナスのイメージがつきまとうが、悪政の独裁と善政の独裁は一緒にすべきではない。トップが責任をもって正しい判断をしていく。そのために情報を集め、考えに考える。

間違っても責任逃れや、言い訳はしない。責任をもって判断する。それがわたしの理想とするトップ像になる。判断できない人は立場上トップであってもわたしはその人をトップだとは思わないし、出来る限りトップが判断できないような組織に関わらないようにしている。

そういう意味で、今回の安部首相の判断が気になるのだ。グダグダな判断をするようではこの国は危ないし、これまでのような果敢な判断を下すようなら、この国はまだまだ大丈夫だと思える。その判断の結果が正しいかどうかはさほど大事ではない。結果など誰にもわからないのだから。

大事なのは過程だ。まず、今回の事件をどれだけ想定していたかが問われる。原発事故と同じだ。「想定外」は最もみっともない言い訳であり、トップに立つ資格はない。「想定できない=仕方ない」ではなく「想定できない=無能である」が正しい。無能であるならトップを降りる。当然だろう。

わたしは心のどこかで安部首相なら、わたしたちの思いもよらない方法でこの事件を切り抜けるのではと期待している。これは日本の危機ではあるが、ピンチはチャンスなのだ。世界で「やっぱり日本人は違う」と思われるか、「やっぱり日本人はダメだ」と思われるか。安部首相の判断にかかっている。

彼にそんな責任を負わす必要がないと言う人もいるかもしれない。じゃあ最初からトップになろうとするべきではない。何かのきっかけで第3次世界大戦が起こったとしよう。そのとき日本がどうあるべきか、それを決めるのは日本のトップなのだ。それができないならその人はトップであるべきではない。

それは国という単位だけでなく、地方の自治体であっても、会社であっても、町内会であっても同じだ。トップは独裁でいい。いや、独裁であるべきだ。判断できないトップがいる集団はじわじわと弱体化していく。それは歴史が証明している。さてこの国はどっちに向かうのだろうか。この事件においてわたしの興味はそこだけにある。

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