厄祓いについて思うことを書いておこう

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友人の厄祓いに同行するということで三嶋大社に行ってきた。前厄、本厄、後厄それぞれに厄年な人がいて、それなりに大人数となった。ちなみにわたしは前厄なのだが、厄祓いということそのものにまったく必要性を感じないので祈祷を受けずに子守と三嶋大社参拝だけで終わらせた。

この厄祓いというものについてはいろいろな考え方があるのだと思う。個人的には人の不安を煽るようなビジネスという印象しかないため、マイナスなイメージしかない。ただ、これらは神社が生き残っていくための知恵であり、強く批判する気はない。ただわたし個人として気持ちいいものではないと感じているだけだ。

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厄年という考え方は非常に理にかなっているし、実際に大きなトラブルが発生しやすいだろうというのは理解している。男で42歳というのは体力的にも厳しくなってくる年齢で、体のあちこちが傷んでいくし、思考力や判断力も低下していく。大きな病気になりやすい年齢だし、大きな失敗も招きやすい。

平安時代から続いている風習には迷信と一言で表すことの出来ない重みがある。

ただ、わたしが厄祓いを受けない理由は神社の不安を煽るようなビジネスが嫌いだとか、厄年というものを軽視しているからではない。わたしの考え方というのはおそらくかなり少数派なのだと理解して書くが、わたしは不幸やトラブルというものを避けるべきものだとは考えていない。

みずからトラブルに突っ込んで行く必要はないが、百難と向き合いそれを乗り越えていくのが男の生き方だと思っている。ピンチはどんなときだってチャンスなのだ。大きな問題が発生したときに、考えに考えて考えぬく。そして行動する。その過程で男は男になっていくのだ。

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そう考えれば厄というのは歓迎してもいいものではないかと思うのだ。極端なところ、もし厄年が原因で命を落とすのならそれは避けられない運命のようなもの。命の関わるものでないトラブルは必然性があってそこに発生している。それらとしっかり向き合い、前に出ることを恐れない。わたしはそういう男でありたい。

繰り返しになるが、この考え方がかなり少数派の思考なのは理解している。きっと多くの人にとってトラブルは避けるべきことであり、病気やケガというものは遠ざけたいのだろう。ただ、よく考えて欲しい。そのトラブルや病気・ケガは本当に避けるべきものなのだろうか。ほんの少しだけでも考えて欲しい。

一見すると不幸なことが、大局で見れば幸福につながることだってある。目先の快適を優先してはいけない。広い視野で考えたとき、厄は払うものではなく、向き合っていくものだという結論にわたしはたどりついた。

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