少なくとも昨日の自分よりは今日の自分のほうが優れている

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1月に大阪で開催された中学同窓会に続き、東京でも中学プチ同窓会をすることになり、山のようにある仕事を見なかったことにして定時上がりして品川まで行ってきた。わたしは過去を振り返る習慣があまりないのだが、こういうイベントがあると自然と過去を思い出すことになる。

特に昨日のプチ同窓会は高校も同じだった同級生がいたので、心の底に眠っていた記憶がグラスの氷が溶け出すようにゆっくりとよみがえってきた。そこでふと思ったのは、自分史において自分がもっとも輝いていたのはいつなのだろうかと。もっとも輝いていなかったのは高校1年なのは間違いない。

輝いていない話をしても面白くもなんともないので、あまりふれないでおく。ただ、その時期があったからこそいまの自分があるとも言える。そしていまの自分を作ったのは過去の自分であり、そう考えると自分が一番輝いているのは『今』なんだという答えにたどり着いた。

「あのときの僕と今の僕を比べるのは今の僕に失礼だと思う」

誰もが知るメジャーリーガーであるイチロー選手の言葉だ。わたしも近いことをいつも意識している。少なくとも昨日の自分よりは今日の自分のほうが優れている。ものごとがうまくいかないとき、小さくそうつぶやく。自分は常に成長を続けていると信じている。日々起こるいいことも悪いこともすべて自分の成長につながっている。

だから、自分がいちばん輝いているのは『今』なのだ。そして『明日』さらに輝いている。いつも最高の自分でいられる。もちろん気持ちだけそうであっても仕方ない。実際に『今』の自分を最高にするために行動しなければいけない。新しいことに挑戦し、必要ないものを手放していく(物理的にも精神的にも)。

昔の仲間に会って、つくづく思い知らされるのは自分が華やかなタイプの人間ではないということ。大阪という土地で育ったからか、周りには存在そのものがキラキラしている人が大勢いる。陽気で話が面白くてかっこいい。160km/hのストレートを投げるくせに、変化球も7種類ぐらい投げれて制球も抜群みたいな。

そういう人に憧れるし、自分もそうでありたいと思うこともある。でもさすがにこの40歳目前になるとわかってくる。自分は120km/hのストレートしか投げられないということを。なにも嘆くことはない。ただひたすらに120km/hのストレートを投げ続ければいい。

時にはホームランを打たれたり、大量失点もするだろう。それでも味方のファインプレーでアウトを積み重ねることができる。投げることを止めなければ、10球に1球ぐらいは120km/hが121km/hになるかもしれない。制球が良くなるかもしれない。仲間との連携が高まるかもしれない。いずれにせよ、泥臭くとも投げ続ければ成長は止まらない。

少なくとも昨日の自分よりは今日の自分のほうが優れている。そう思えれば、人生は上々だろう。華やかではなくとも、誰の目にも止まらなくとも、自分の中で今の自分が自分史上最高であればいい。そういう生き方を続けていきたい。

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