託された襷をいまの時代のやり方で繋いでいく

PC133964

いまの会社に長く勤めていた方の送別会に参加してきた。仕事に情熱を持ち、体調を悪くしてからも若手を育てるために働き続け、もう無理だというところまで働いて退職となった。わたしは直接一緒に働いたわけではないのだが、それでも最後を見送らなくてはいけないと思わせてくれる人だ。

わたしにとって会社の業績などはどうでもいい。この国の行く末なんてさらにどうでもいい。だから、その人のように「会社のために」働くことはこれまでも、これからもないだろう。それでも、同じ組織にはいたわけで、その人の志というものは間接的には受け継いでいる。

いまの自分があるのはその人を含めた、過去に力を尽くした人たちがいるからだ。同じように、この国でこうして平和ボケしながら暮らしていけるのは過去の人たちが時に命がけで国のために働いたからだ。いくらワガママに生きているわたしでも、そういう人たちの想いを無視することは出来ない。

見えなくとも繋がれた襷がある。わたしたちはその襷を次の世代に繋いでいく義務がある。会社であれば、その会社の業績であったり、社会的な立ち位置であったりをできるだけ良い状態で次の世代に繋いでいく。国であれば、そこで暮らす人々が安心して暮らせる状態を繋いでいく。

でもわたしのなかでは、国も会社もどうでもいいという矛盾がある。どうでもいいのだが、それは別に手を抜くとかそういうことではない。仕事は全力で取り組むし、日本人ということに誇りも持っている。だがそれを「国のため」とか「会社のため」という言葉にするのは違和感があるのだ。

全力で取り組むし、向上心も忘れない。だからといって社会で成功したいわけではない。有名になりたわけでもなければ、お金持ちになりたいわけでもない。ただただ誠実に、まっすぐに生きたい。仲間を裏切らず、自分を裏切らない。そのために成長したいし、手を抜くことは絶対にしない。

国や会社の向上というものはその結果だとわたしは考えている。個々人が全力を尽くし、成長することをやめない。その根源はそれぞれの人が持つ志だ。もはや戦時中でもなければ戦後でもない。ましてや高度経済成長期でもない。いまの時代は皆が同じ方向を向くことはできない。

それでも先人から受け継いできた襷を持つわたしたちが最後にたどり着くゴールは同じ場所だと信じたい。それぞれが違う道を歩もうと、それぞれが自分なりの全力を尽くせば、総和として良い方に向かうはずだ。そして受け継いだ襷を最高の状態で次の世代に繋いでいこう。それが襷を託された者に与えられた役割なのだから。

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