この春、卒業する若者たちに伝えたいこと

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全国各地で卒業式が行われている。わたしが最後に卒業したのは湘南工科大学大学院で2000年の春ということになる。卒業というのは人生の大きな節目だ。ただ、わたしにとっての卒業式はものごとの終わりではなく、始まりというイメージが強い。そういう意味ではマラソンのゴールによく似ている。

わたしは父親の転勤が多く幼少の頃から引っ越しを繰り返していた。生まれは徳島だが、その後神戸→神戸→大阪と過ごし、大学からは神奈川の藤沢→鎌倉→藤沢、社会人になって藤沢で働いた後、短期間静岡の三島へ行き、藤沢→大和で今にいたる。引越という転機と卒業という転機が数多くあると、環境を変えることへの順応がうまくなる。

環境を変えることへの恐れがなくなると、環境を変えることが楽しみになってくる。学校を卒業し、次のステージに向かうのに楽しみだけが膨れ上がっていく。そうなってくると同じ場所にとどまることが苦痛になる。いま大和で暮らしているのは藤沢での生活に行き詰まりを感じたからで、環境を変えたかったから引越を選んだ。

そういう意味で、卒業式というのはやはりワクワクするものだ。これから見たこともない世界に足を踏み入れる。その期待が最高潮に膨れ上がっている。とても過去を振り返っている場合ではない。どの時代も一生懸命にやってきたし、思い出もあるが、わたしがいつも見つめているのはその先にあるものだけだ。

マラソンもゴールする過程はとても面白いのだが、ゴールの瞬間からは次に立つスタートラインへの準備になる。ゴールした瞬間は安堵の気持ちでいっぱいになるかもしれないが、それは本当に一瞬のことで、完走メダルを手にするころにはそのレースはすでに過去になる。あくまでも「わたしの場合は」でしかないが。

そうでなくても、1時間もすればほとんどのランナーが「次はこうしよう」「もっと練習が必要」とか口にしだす。マラソンランナーはレースのたびに、いまの自分を卒業している。本人にその意志はなくとも、いつも前を向いて成長し続ける。今日の自分が昨日の自分より劣っているわけがない。

学校の卒業というのもそうであってほしい。次のステージに進んだとき、卒業した時の自分をつねに上回る自分でいようとする。何をもって上と考えるかは人それぞれだが、間違っても「あのころは良かった」などと口に出してほしくない。あっても「あのころもよかった」ぐらいがいいところだろう。

人生にはいいときもあれば悪いときもある。悪いとき、どうしても過去を美化しがちだが、そういうときこそ過去の自分に負けない人生を送ってほしい。卒業式は踏切台だ。力強く踏み込んで、大きく羽ばたいてほしい。そういう人たちがまわりの人に与える影響は決して小さくない。少しだけ過去を振り返ったら、あとは全力で前に進もう。

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