わたしにとってのカズさんの思い出を少し語らせてもらおう

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キングカズこと三浦知良に対して野球界の重鎮、張本さんが「もうおやめなさい」と言ってネットで炎上したとか。それほどまでにカズが現役にこだわっていることに対して注目が集まっているのだなと思うと少し嬉しく、それでいてわたしの中で申し訳ないと思う気持ちが湧いてくる。

わたしにとってのカズさんの思い出を少し語らせてもらおう。

わたしがサッカーを始めたのはJリーグ開幕直前の1991年、高校のサッカー部からだ。親戚のお兄ちゃんに「サッカー部はモテる」と言われ、中学でやっていたハンドボールではなくサッカーに情熱を傾けることになる。もっともサッカー部がモテるのではなくかっこいいサッカー部員がモテるのだと知ったのはもっと先の話だ。

高校から始めたので、小学校からサッカーを始めているような周りの同級生にはまったくもってかなわない状態からのスタート。まともにボールを蹴ることすらままならないのだが、なぜだかサッカーの魅力にハマっていった。背も低く、筋力もないわたしはまず、サッカーを学ぶことから始めた。

サッカー関連の本を読み、時間があればサッカーの試合を観に行くようになっていた。Jリーグのプレシーズンマッチや、天皇杯だけじゃなく、関西大学サッカーや高校選手権の予選。とにかくサッカーの試合をたくさん観ることで、誰よりもサッカーを知っているようになりたかった。

そうしているうちに、わたしはガンバ大阪のファンになっていた。永島昭浩、礒貝洋光、本並健治は飛び抜けてかっこよく、わたしの中のヒーローだった。だが当時は読売クラブ全盛の時代、周りの仲間たちの多くがラモス瑠偉やカズさんを追いかけていた。大阪の高校なのにガンバ大阪の選手を誰も知らないという時代。

そんなある日、高校のサッカー部にボールボーイの仕事が回ってくる。1992年の天皇杯準々決勝。対戦カードはガンバ大阪vs読売ヴクラブ。雨の中の試合だった。さすがに準々決勝にもなるとレベルが高く、前評判の高い読売クラブにガンバ大阪のイレブンも負けていない。結局延長まで1-1でお互い譲らずPK戦になり、最終的には読売クラブの勝利となった。

試合後、ボールボーイの仕事を忘れて読売クラブの選手を取り囲む仲間たち。わたしだけはガンバ大阪のファンであり、ガンバ大阪のためにボールボーイをしていた。だからとにかく悔しくて悔しくて、読売クラブの選手たちを遠くから睨んでいた。そのときカズさんと目があった(正直心臓が止まるかと思った)。

カズさんの目がわたしに語りかける「悔しかったらここまであがってこい」と。そこからだ。わたしがサッカーと本気で向き合ったのは。そのときいつか必ずプロになるのだと誓い、プロへの近道だと思い関東の大学を受験。高校時代に公式戦に出たこともないわたしだったが、プロになれるということだけは疑っていなかった。

どんなにつらくても「カズさんが待っている」と自分に言い聞かせ、誰よりも練習を積み重ねた。ただ、その夢は大学3年のときに受けたウルグアイのチームのプロテストに落ちたところで潰える。落ちたというのは正確ではなく練習生合格はしている。ただ、練習生という不確実な立場をそのときのわたしは選べなかった。

わたしは待っているカズさんのところにまではたどり着けなかった。だからカズさんが契約を更新するたびに申し訳ない気持ちが湧いてくる。これはわたしの思い過ごしだろうか。いやカズさんはきっと今でも待っているはずだ。日本中のサッカー少年たちがカズさんのもとにあがってくるのを。そして、その若者たちに彼の魂をつなぎ続けている。

わたしはいま、サッカーとは違う道を進んでいる。プロサッカー選手になるという夢は潰えたが、いまでも夢を追い、挑戦し続ける日々を過ごせている。すべてカズさんのおかげだとは言わないが、それに近い感情を抱いている。彼の魂は間違いなくいまもわたしの中で燃え続けている。

カズさんの中につなげる魂があるうちは、きっと彼はプロサッカー選手であることを辞めないだろう。そして、伝えきったと思えたとき、彼はフィールドから自ら立ち去るのだろう。その瞬間、わたしはどんな気持ちになるのだろうか。いまはただ彼の魂がわたしの中で輝き続けるよう毎日を全力に生きるだけ。

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