わたしの原点は「自分で考えること」にある

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人に指示されるのが嫌い。もうこの時点で会社員向きではないというか、社会に対する適合度の低さがわかってもらえるだろうか。マラソンをするようになって「頑張って」には慣れたが、「無理しないで」とか「気をつけて」という言葉はなぜだか分からないがいまでもイラッとくる。

まず、人に止められるのが嫌い。何かを止めるときは自分で判断して止める。無理かどうかは自分で決めることだし、無理を承知でやることだっていくらでもある。

逆に自分で判断しない人も嫌いだし、人に指示を出すことも嫌いだ。決断を他人任せにするような人は見ていて本当にイラッとする。さすがに最近はイラッとするのを表には出さなくなってきたが、自分のことを自分で決めない人とは深い付き合いはできない。

わたしは小さなころから「自分で考える」ことを求められてきた。今でこそ母はわたしたちへの子育てを虐待だったというが、少なくとも今のわたしはそうは思っていない(あの頃は本当に理不尽としか感じなかったが)。

朝起きて調子が悪い時に、熱を測ってみる。「お母さん、37.5度ある。学校休んでいい?」と母に聞くと必ず返ってくるのは「熱があるかどうかは関係ない。あんたが学校に行けるかどうか自分で考えて決めなさい」という言葉だった。

勉強をしなさすぎて遊んでばかりだったときは1日部屋に閉じ込められて「考えなさい」と言われたことは1度や2度ではなかった。

ここがわたしの原点でもある。何事も自分で考えなきゃいけない。誰かが言っていたから、自分も言う。誰かがやっていたから自分もやる。誰かが持っているから、自分も欲しい。そういう考え方は徹底してはねつけられて育った。

だからわたしはいまでも他人の目は気にしないし、他人の意見は参考にしても自分の意見になるまで考えに考えたあとでなければ参考にもしない(考えに考えるといっても一瞬の時もあるのだが)。

だからといって自分一人で生きているつもりもない。ただ「支え合い」はかまわないが、「もたれあい」は最悪だ。「協調」はあっても「依存」は許されない。そういう生き方をしてきたし、これからもしていくだろう。自分で考えて行動したのであればどんな結果であっても後悔しないで生きていけるから。

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