にじみ出る個性が欲しければ世の中の当たり前を疑え

Silhouettes 616913

3種目耐久レースin所沢を終えて5日が経過した。まだ右膝が少し痛むのだが、どうしても走りたい気分になったので、膝に違和感を感じたら終わりというルールを決めて、裸足でアパートを飛び出した。

結果的には5.5kmの手前で、膝からの警告信号が出たのでそこでストップ。アパートに戻って合計6km。秋の裸足100kmに本当に間に合うのか不安ではあるが、そもそもこの膝で6kmでも痛みもなく走れることがちょっとおかしい。

本当なら絶対にランニングをしてはいけないレベルのケガだろう。たぶんシューズを履いたら1kmも走らないうちに膝が痛みだして練習を中止するしかなくなる。

「裸足で痛くないの?」というのはよく聞かれる質問だが、当然足裏は痛くなるのだが、その他の部分にかかる負担がシューズを履くよりも裸足のほうが劇的に低い。

裸足は危険だという理由で裸足での出走を禁止する大会が増えているのだが、シューズを履くことでの危険性のほうがよっぽど高いとわたしは感じている。

だが普通のランナーたちは「ランニングはシューズを履いてするもの」というバイアスがかかっている。それでいて、ガンガン脚に負担をかけて故障してしまう。わたしの傷めた膝もシューズを履いていたことがきっかけにはなっている。

常識というバイアスが及ぼす影響のこわさを世界的なイノベーターの濱口秀司さんは何度も口にしていた。イノベーターと呼ばれる人たちでさえ、世の中の「当たり前」に流されそうになる。われわれのような凡人はバイアスでがんじがらめだろう。

わたしなりのバイアスからの開放のされかたは「なんで?」と「それは本当なのか?」を何度も繰り返すことだ。なんでそうするのか、なんでそうなっているのかを何度も何度も繰り返し自問自答する。

世の中の人が当たり前だと思っていること、それとは逆に絶対に反対することを自分の身を持って経験すること。「中国人は不誠実だから気をつけたほうがいい」と何度言われたことか。いまどきの中国人は日本人よりもよっぽど誠実だ。少なくともわたしは中国の人たちに不誠実にされたことは一度もない。

膝が痛いなら練習しないのが世の中の常識。でも「それは本当なのか?」を考えてみる。実際に負担をかけない走り方を試してみる。少なくとも痛みを感じずに5kmは走れる。やり方しだいでもっともっと走れるだろう。

そういう工夫の中にだけ気付きはある。虎穴に入らずんば虎児を得ずと言うではないか。危険だから、無茶だからと安全地帯から抜け出さないし、バイアスにがんじがらめでは新発見などできるわけがない。

失敗してもいい。いやむしろどんどん失敗して学べばいい。身を持って学んだことは一生忘れない。そして自信を持って人に伝えることができる。「裸足は決して危険ではないし、シューズは決して安全ではない」と経験しているから言える。

そしてその経験がわたしという人間の輪郭を作る。個性やオリジナリティというやつだ。安全地帯にいたのでは個性なんてできるわけがない。せめてイケメンだとか美人さんだとかその程度の薄っぺらい個性がいいところ。

内面からにじみ出る個性が欲しければ、世の中の当たり前を疑うところから始めたほうがいい。周りから変人と思われようが、いや変人と思われるぐらいがちょうどいい。空気のような存在になるよりははるかにいい。

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