一度だけ東京五輪エンブレム問題について書いておく

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はっきり言ってまったくもってこれっぽっちも興味がないんだが、あえて書いておこう、東京五輪のエンブレム問題について。佐野さんがどういう人かも分からないし、何が正しいのかも知ったことではない。ただ感じたことを。

まず、基本的に「謝る」ということができない人は信用してはいけない。わたしのように無闇に謝る人間も信用してはいけない。わたしの場合は争いが嫌いなので、まず自分から謝る。そういう人間は信用してはいけないが、それ以上に信用してはいけないのが謝らない人たちだ。

「悪いことをしたら謝る」幼稚園か小学校で習うことだろう。いや、そもそも親が躾けることだろう。取ってつけたような言い訳をして「自分は悪くない」と主張する。ここは訴訟大国アメリカではない。

すぐに謝らない人は、自分のやっていることが悪いと感じていないか、悪いと感じているが闇が深すぎてこれ以上の追求をされたら我が身を滅ぼしかねないのどちらかだろう。どちらにしても小者感が半端ない。

開き直るか素直に謝る度量がない、その程度の奴でしかない。そんな奴にいちいちかまっていてもしょうがない。

そう、わたしが一番気になっているのは、不正をした、もしくは不正をしたと思われる人を徹底的に叩こうとする風潮が気持ち悪い。STAP細胞の小保方さんのときもそうだった。不正をとことん暴く。

その事自体は悪いことではないのかもしれない。でも誰かを落とすことで自分の立ち位置が上がると思っている人が多いようなきがするのだ。自分自身の幸福を他人の不幸で押し上げる。

あたりまえだが、そんなことで自分が幸せになるわけはない。誰かの足を引っ張って、落としてしまえば自分の順位は上がるかもしれない。でも自分の立ち位置が変わるわけではない。

はっきり言おう。そんな小者に関わっている暇があるなら少しでも自分を磨いたほうがいい。ズルしたものが成功するのが許せない?そんなちっぽけな正義感なんて捨ててしまえ。

ズルして成功した人の人生が豊かになるわけではない。そういう人はいつも自分がズルされるのではないかと怯えながら生きていくことになる。いつかズルが発覚するのではないかと怯えながら生きていくことになる。

放っておけばいい。彼らは黙っていても自滅する。黙っていても天の神様が罰を与える。与えなくてもあなたの人生になんら影響を与えることはないだろう。

わたしたちに与えられた時間には限りがある。誰かの足を引っ張っている時間なんてないのだ。今日を後悔なく精一杯生きることだけに集中していればいい。

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