誰もが気軽に走れる時代がこのあとやってくるために、わたしは語り続ける

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ストイックな走りもいいのだが、ランニングはもっと自由であるべきだと感じている。少なくとも「わたし走るのは無理ですよ〜」なんていう人がいないレベルぐらいにまで走ることのハードルを下げたい。

走るのを避けている人たちは何をそんなに怖がっているのだろうかと思うのだが、確かにわたしも走り出す前はフルマラソンを走る人たちに対して正気の沙汰ではないと思っていた。

実際やってみると、その過程はそれなりに大変であったが、フルマラソンぐらいの距離であれば相撲取りでもなければ基本的に誰でも走れると信じている。

まったく走ったことがない人であっても数ヶ月でフルマラソン完走ぐらいはそれほど難しくはない。走ることのハードルをみんなが勝手に上げているだけで、走ることは人間の本能だし、兼ね備わっている能力なはずだ。

走れない人の多くは「膝が痛い」と言う。

膝が痛い人に申し訳ないのだが、それはもう確実に歩き方や走り方がおかしい。そういうとき走り慣れた人やお医者さんは「筋肉をつけろ」と漏れなく言ってくるがそんなものは一時しのぎでしかない。筋力が落ちればまた悪化する。

老化は別として30代40代で膝が痛くて走れないというのは生活からきちんと見直したほうがいい。走れないということはこの国では命のリスクに繋がる。津波や噴火、洪水。走れれば逃げれたのに膝が痛くて走れないなんて考えたくもない。

国は海に大きな堤防を作るよりも各市町村にフィールドアスレチックでも作ったほうがいい。

走ることが楽しいことだという認識に変わり、走ることへのハードルが下がったらこの国はきっともう少し豊かになる。そしてそれをするのはいま走っているわたしたちの役割だろう。

そしてどうすれば故障せずに何十キロも走れるようになるかというのは、わたしのような情報発信をする人間の役割だ。情報を発信できるランナーが自分の経験を次の世代のランナーにつないでいく。

ランニングブームだなんて言われて久しいが、これをブームで終わらせるわけにはいかない。ランニングは日本人の文化になるべきだろう。誰もが気軽に走れる時代がこのあとやってくるために、わたしは語り続ける。

そして提示し続ける。ランニングは楽しいのだと。マラソン大会だけがランニングではないのだと。半分以上のランナーがマラソン大会に出ない時代がやってくれば、ランニングはきっと日本の文化になる。

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