考えること、違和感を感じることをやめてはいけない

ビールを美味しく感じるようになったのはいつからだろう?

ビールを美味しいと思ったのはいつからだろう?

持っている漫画を電子化するときに、スキャンミスがないか確認のため読み返しをしている。昨日読み終えたのがROOKIES。テレビドラマ化されたので覚えている人も多いかもしれない。

簡単にいえば不良が甲子園を目指す青春マンガ。読みながらふと思ったことがある。高校球児の喫煙がバレたら停学だったり、部活そのものが活動休止になったりする。これは漫画の世界の話だけではなく現実の世界でも起こっている。高校生の喫煙、これはそんなに大きな問題なんだろうか?

勘違いしてほしくないんだけど、おいらは別に高校生の喫煙をよしと考えているわけじゃない。単純に喫煙の罪はどれほど大きいものかを冷静に考えたいだけだ。未成年の飲酒・喫煙は法律で禁じられている。根拠はいろいろあるだろう。未成年の体にとってお酒もタバコも有害であるのは言うまでもない。お酒はともかく、タバコは大人にとっても有害である。副流煙なんかを考えると吸った本人以外にも害がおよぶ。だから高校生の喫煙は認められないし、見つかった場合は停学にもなるし、甲子園にも出られなくなる。かなり大事ということだろう。

じゃあなぜ大人は吸っていいのか?

おいらにはまったく理解できない。高校生にとって人生がかかっているような罪になるものが、成人したとたんに無条件で許可される理由は何なんだろう。いまでこそタバコの購入は身分証明証が必要になっているけど、10年前まではそうではなかった。そこらへんで普通にタバコの購入ができた。おいらも小学生の時、父のお使いでタバコを買いに行った記憶がある。意志の力でしか喫煙を止めることができない環境がそこにあったにもかかわらず、喫煙は大きな罪だったのだ。しかも、喫煙を受け付けないほど未熟な体であるということは、その精神もまた未熟なのだ。意志の力だけで喫煙を止めることなんてできるわけがない。

おいらはタバコを吸うことを援護するつもりもなければ、嫌うこともない。吸いたい人は吸えばいいし、吸わない人は吸わなければいい。おいら自身は喫煙したことはないけど、目の前でタバコを吸われても嫌ではない。居酒屋なんかでは煙草の煙があったほうがよい雰囲気を作り出すことだってあると思っている。で、もちろん未成年の喫煙は避けるべきだとは思う。でも、その罪を犯した場合に受ける罰のバランスがおかしいと言いたいだけだ。停学やら部活動の停止になるほどの大事なら、喫煙は成人でも免許制にでもすべきなんじゃないだろうか。少なくとも健康に問題がある人は喫煙を禁じるぐらいにはなるべきだ。

もちろん、そんなアンバランスさは世の中にいくらでもある。大切なことはそういうアンバランスを何も考えずに受け入れてはいけないということだ。どこか違和感を感じたときに、自分なりに追求していくこと。別に社会に反発したいわけじゃない。世の中の矛盾を論って偉そうな顔をしたいわけでもない。おかしいものをおかしいのではないかと感じ、考えるべきなんじゃないかと思っているだけだ。眼の前にある当たり前を当たり前に受け入れる人から新しい何かが生まれることは絶対にない。

世の中にはルールというものがある。国を乱さないため、組織をうまく運営していくためにどうしてもルールは必要だ。でも、そのルールというのは原則であってかならず例外がある。おいらたちはコンピュータではないしロボットでもない。例外を認め、ときにはルールを逸脱することだって許されるはずだ。そして何よりも大切なことは自分自身に正直であるということ。間違ってはいけない、ルールを守ることが大事なのではない。自分自身の行動に胸を張れるかどうかが大事なのだ。教育とはそれを教えることであり、喫煙が誇れるものかどうかを考えさせるということなのではないだろうか。

学校は勉強だけを教えるところなのだろうか。もしそうだとしたら今の若者たちは人生にとって大切なことをどこで学べばいいのだろう。いったい誰から人生の歩き方を学べばいいのだろう。ROOKIESの川藤先生のような先生は実在しない。だから、おいらたちが教えていくしかないのだ。あるときは言葉で、あるときは行動で。そのとき自分の考えがなければ言葉は安く、行動は軽くなってしまう。考えること、疑問に感じることをやめてはいけない。少なくとも次の世代にすべてを伝えきるまでは。

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