フランスでのテロについてわたしの心が動いていない理由

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フランスでテロがあったことは知っています。ただどれぐらいの規模で、どんな状況で起こったかなど一切知りません。テロがどうとかいう話ではなく、この情報が入らない状態はどうなのかとふと考えてしまいました。

情報はネットでも入手することができます。でもネットの情報は取りにいかなくては手にすることはできません。テレビやラジオや新聞というメディアは垂れ流しでも情報を手にすることが出来ます。

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ものすごく反論されることをわかってあえて書きますが、フランスでテロが起きたことが自分にとってどれだけ重要な事なのかがまったくわかっていません。対岸の火事どころか見知らぬ国で起きた出来事です。

何でも知っていることが優れているとされている風潮があります。いや実際に優れているのかもしれません。今回のテロでも多くの人がそれぞれの意見を述べているようです。

なんででしょう。「自分はわからないからコメントしません」という識者はいないようで、気の利いたコメントをして注目されたり、逆に炎上している人たちがいます。

知らないことはいけないことなのか、無関心は悪なのか。

政治や経済、国際問題に対して自分の言葉できちんと語れる人たちのことを素晴らしいと思う一方で、同じような状態になることが本当にいいことなのかというのはわたしの中で難しい問題です。

「テロを許さない」と言葉にするのは簡単です。でもわたしは許さないと思えるほどの感情は抱いていませんし、テロが発生する過程で起こった背景などもまったく知りません。

多くの人が死にました。そのことに対して憤りを感じることもなく、怒りの感情も湧いていません。もっとひどいことを言います。わたしには死んでしまった人たちのことを想うこともできません。

そんな状態で「テロを許さない」とも言えませんし、「ご冥福を…」なんて言葉にすることもできません。もっともわたしは「ご冥福を…」という言葉をこれまで一度も口にしたことがありませんが。

たぶん多くの人からすれば無関心は悪なのでしょう。でも人間には限られた時間しか与えられていません。その時間の中であらゆることに関心を持つことは不可能です。

テロについて考えるということは他の何かについて考える時間を手放すということです。無限に時間があるわけではないのだから、わたしはいま目の前にあるやるべきこと、やりたいことだけに時間を使うことしか考えていません。

ひどいやつだと非難されても仕方ないのですが、わからないことをすべて分かる必要はないと考えています。わからないことをわかったように言葉にするよりはよっぽどましです。

わたしは賢く生きるつもりもなければ、賢いと思われたいわけでもありません。わたしがすべきこと祈ることではなく、今日を精一杯生きるだけです。

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