いつの日か本物のジャーナリストになることを目指して

IMG_1656.JPGほとんど毎日ブログを書いている。内容が薄いときも多々あるけど、物書きを目指す者として継続こそが力と信じてコツコツやっている。でもlivedoor Blogで書いていたころはひとつの記事が30分ぐらいで書けていた。そのころよりも圧倒的に文字数が多くなっているというのもあるけど、いまは1時間以上は当たり前にかかる。語学の勉強と同じで、かかった時間だけ文章が上達しているならいいんやけどね。

物書きというと小説のようなものがまず浮かんでくるけど、どうもおいらは小説家向きではないみたい。こうやって情報を伝える物書きのほうが楽しいしいくらでも書ける。Wikipediaによれば「ジャーナリスト(journalist)とは、新聞、雑誌など、あらゆるメディアに記事や素材を提供する人、または職業である。」とある。その定義からすればネットというメディアに記事を提供しているおいらもジャーナリストということになる。もちろんジャーナリストなのはおいらだけではない。情報発信している人たちがみんなジャーナリストになるわけだ。ネット社会はアマチュアジャーナリストが無数にいる時代を作り出した。

誰もがジャーナリストになれる時代になったのだ。誰もが電子書籍を発行できることを考えれば誰もが小説家になれる時代でもあるんだけどね。同じ考えでいえば誰でも音楽家になれるし、映画監督にだってなれる。多くの人に認められなきゃ意味がない?その考え方がすでにネット社会以前の考え方じゃないかな。おいらたちはネットを手にして自由を手に入れた。自由に自分を表現できるしそれを発表することが出来る。何もブログみたいな大げさな場所じゃなくても、mixi、Twitterやfacebookなんかもひとつの自己表現の場として利用できる。そこに才能なんていらない。大事なのは継続することだけだ。

ところが誰でも簡単なはずのSNSもいつの間にか書き込みをしなくなる人が増えていく。書き込む人と読む人の2分化が進んでいるのだ。始めたばかりのころは周りの人が反応してくれるのがモチベーションになってどんどん書き込むのだけれども、周りの反応がなくなってきたり、書き込むことに飽きが来たりするとあっという間に使わなくなってしまうのがSNSの特徴だ。いやブログも同じで、継続して続けられる人って本当に少ない。たくさんの人が見に来てくれると思って開設したブログ。ところが1日のアクセス数が49人以下のブログが67%という調査結果がある。もうね、虚しくなってやめてしまうんだと思う。

気持ちはわかる。このブログだって決して大きなブログでもないし、そもそも友だちと家族しか訪問がなかった時代のほうが圧倒的に長かったんだから。それでもおいらがブログを辞めなかったのは物書きになりたいという情熱と、別に読まれなくてもいいのだという開き直りの結果だと思う。ブログはしょせん自己満足の自己表現の場でしかない。有名人でもないおいらのブログを読んでくれる人が1人でもいると思うとそれで満足だ。いや、誰ひとりとして読んでくれなくてもおいらは書くのをやめないだろう。書くことが好きで、誰かに何かを伝えるのが好きだから。

そしていつかは本物のジャーナリストになろうと思う。情報を発信する場はこのブログのままでかまわない。職業ジャーナリストという意味ではなく、技術的にも精神的にもプロフェッショナルなジャーナリストになりたい。いや、絶対になってみせようじゃないか。そのためにも今日も1時間以上かけて書き込むわけです。あ〜英語の勉強時間が〜!

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