いま書ける最高の文章を積み重ねること

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エッセイを書くために、その構成などと学ぼうを購入した村上龍さんのエッセイ集。いまは普通にお風呂に入りながら読んでいますが、村上龍さんに影響を受けたけどまだまだ自分は浅いなページをめくるたびに痛感します。

もう40年以上も書くことで生活している人と、始めてまだ半年も経っていない自分を比べることに意味があるのかはわかりませんが、自分で文章を書いて食べていくようになったからこそ、そこにある歴然とした差に愕然とします。

村上龍さんの文章はわたしの文章よりも2段も3段も深いところを掘り起こして書いています。その知識も尋常ではなく、そして無駄のない、それでも不足しない言葉の積み重ね。

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わたしももっと伝え方について考えなくてはと気持ちばかりが焦ります。これまでは「相手はプロだから」という言い訳ができましたが、いまはお互いにプロなわけです。

もっとも素人のときに「相手はプロだから」って言ってる時点でダメなんですけどね。

サッカーやフットサルをしているとき、強豪チームに当たって負けたときに「仕方ないよ、あいつら前回の優勝チームだし」というようなニュアンスのことをいう選手がいました。一生勝てないですよね、その思考だと。

マラソンでもオリンピック目指すわけではないからということで、自分をストイックに追い込まない人もいます。それはそれでいいのですが、ストイックに追い込めないのに不甲斐ない結果に不満を漏らすのは意味がわかりません。

練習で自分を追い込まないなら、出た結果に対してももっと楽観的でいいし、走ることそのものを楽しめばいい。それなのに速く走れなかった自分に対して悔しがる。

悔しいという言葉はそれに見合うだけの努力をした人が口にして初めて重みが出てきます。

最善を尽くさずして悔しがる人の言葉は軽い。もっと言えば人生そのものが軽い。

それがライターとして働く以前のわたしでした。いまでもそれほど重い言葉をつなげるわけではありませんが、重い言葉と軽い言葉の違いぐらいは理解できるようにはなっています。

そして村上龍さんのエッセイを読んで天井の高さに気づいて愕然としているところです。

もっと追い込まなければ村上龍さんの域までは達することができない。1分1秒も無駄にはしてはいけない。常にいま書ける最高の文章を積み重ねる。それを何十年も続けたとき、わたしはきっと村上龍さんにもう少し近くに感じられるはず。

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