過去は経験として積み重なり、道は未来にしかない

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何かを選ぶときに躊躇するのは、何を選んでいいのか迷っているのではなく、選ばなかったものへの未練を断ち切れないから。

人生の分岐点で悩むということはポジティブなようでネガティブな行為だったりします。

わたしが会社を辞めたとき、一切の躊躇もなく辞めることが最初から決まっていたかのように、ほんの少しも悩むことなく辞めました。

それはサラリーマンとして働くことにほんの少しの未練もなかったから。

もちろん入社したときに辞めることを考えて入社したわけではありません。ただ定年まで働くことをイメージしたことは一度もありませんでした。

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生きるということは選択の連続です。そしてそれは「選ばないこと」の連続でもあります。

高校時代の部活で、サッカーを選ぶかハンドボールを選ぶかで悩み、結局サッカーを選び、ハンドボールを選びませんでした。この選択が違うだけで人生は大きく変わってきます。

そして一度選んでしまうとその分岐点には戻れません。ハンドボールを選んだ人生を歩みなおすことはできないわけです。

人間はその選ばなかったことへの思いを断ち切れないから、選択をするときに悩むわけです。

それでも選択に正解はありません。

大切なのは自分が選んだ道を振り返ることなくまっすぐに進むこと。人間だからたまに振り返ってもいいですが、後ろを振り返ってもいいことなんて一つもありません。

過去は経験として積み重なり、道は未来にしかないのですから。

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そんなことを言いながら、いまでも振り返る人生の分岐点がわたしにもひとつだけあります。

サッカーで食べていくのだという根拠のない自信を持って海外チームのトライアルを受けて、練習生合格という微妙な結果が出たときに、練習生として海外に行くのか、それとも海外に行かないかで悩むことになりました。

最終的には海外に行くお金がないという判断で、海外のチームの練習生になることは諦めましたが、じゃあお金があったらどうだったんだろう。なぜお金を工面する努力をしなかったのだろうと今でも思い出すのです。

その試験を受けたのが大学4年生になる前で、大学の単位はすべて取っていたので、あと1年間研究室に通えば卒業できるという状況でした。いま思えば、なんとなく約束された未来を手放すことを恐れたのでしょう。

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この感情は後悔とはちょっと違います。

なぜなら、そこで海外に行くという選択を手放したことで、いまの自分があるから。そしていまの自分が嫌いじゃないどころか好きなんです。

たくさんのランナーと出会い、競い合い、笑い合う。もちろん出会いはランナーだけではありません。

そうした出会いは、海外に行くという道を手放したから得られたものです。

じゃあ海外に行っていたらどうなっていたか?そんなこと誰にもわかりません。結局同じように裸足で走っていたかもしれません。

その未来にはその未来で、自分を大好きな自分がいるかもしれませんし、自分のことを愛せない自分がいるかもしれません。

ひとつだけ言えるのは「お金が理由で選べなかった道は、いつまでも心の中に引っかかり続ける」ということでしょうか。自分の意志以外の要素が選択肢に影響すると、過去は過去になりきれない。

幽霊が成仏できないあれと同じです。

そういう意味ではお金だけじゃなく、家庭の事情なども同じかもしれません。わたしは幸運にも家庭の事情で何かを選べなかったことは一度もないので、想像でしかありませんが。

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会社員を辞めて収入が1/4になったため、いままさにお金がなくてできないことだらけですが、さすがに40歳にもなると、お金がないからできないことを悔やむよりも、お金がないからできることを楽しめるようになってきました。

そういえば考えることはあっても悩むこと、最近めっきりなくなっています。

いいことなのか悪いことなのかはわかりませんが、こんなわたしでも一応不惑の年齢ですからね。

ここと決めたところにイノシシのごとく一直線に駆けていく。やると決めたら振り返らないこと、最後までやりぬくこと。転んだときのことは転んだときに考えればいい。

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