もう24時間戦わなくてもいい!自分で判断することが求められている

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おいらの暮らしている神奈川の大和は昨夜からひどい雨が続いていた。落雷で目がさめること数回。雨音で目が覚めること数回。こんなことなら窓を閉めて寝るんだったと思いながらも、布団から離れて窓を閉めに行く気力などあるわけもなく、あっという間に朝をむかえたのでした。雨音はともかく、落雷はさすがに恐怖です。確実に数十メートル先に落ちたのがわかると、次はこのアパートではないだろうかとびびらされるわけです。朝起きて、通勤してみると学生の姿が見つかりません。会社について事務所に入るとこれまた人がほとんどいません。全国最強と名高い相鉄線が落雷の影響で運転を見合わせているのだとか。よほどの雷雨だったということです。

ところがこんな天気なのに、みんななんとかして出社しようとするんですね。結局電車は9時過ぎに運転再開したようですが、迂回して出社する人もいれば、駅で電車を待っていた人もいたようです。ふと思ったのですが、警報が出ているのに会社に向かうってどうなんでしょう。警報を無視するような行為は、なんのための警報なんでしょう。警報が出ると学校は休みになります。危険だから当然の判断です。じゃあサラリーマンはなぜ職場に向かってしまうのか。どう考えても仕事を休むべきでしょう。

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そもそも警報というのは簡単に出過ぎている可能性も否定できません。注意報は無視されて、警報が注意報のような扱いを受けています。それは多くの人が警報が出たところで、多少無理すればいつもどおりすごせるという経験をしているからではないでしょうか。多少の無理というのは道が川のようになっていてもずぶ濡れになりながらなら出社できなくもないというような状態です。不快ではあるけど、命の危険があるわけではないというような。

「24時間戦えますか」

このキャッチフレーズができたころから日本のサラリーマンのあり方というのはそう変わっていないようです。みんなの仕事に対する忠誠心は一体どこからやってくるのでしょう。おいらの場合は職場まで徒歩15分以内ですし、やっている仕事が楽しいから会社に向かうことはまったく困難ではありません。そうではなく通勤に時間がかかり通勤や仕事にストレスを抱えている人でも、電車が止まるような状況で出社しようとするわけです。これが高度成長時代の原動力になったことは間違いありません。日本人の長所のひとつでしょう。

ただし長所と短所は裏表です。長所は見方を変えれば短所になってしまうことが多々あります。台風が吹き荒れる中、現場から実況しているニュースなんかを見ていると、なぜこんなことになってしまったんだろうと悲しくなることがあります。視聴率のために体を張っているのでしょうか。きっとレポーターはそんなことすら考えていないでしょう。台風がきたら現場から実況するのがあたり前だからやっているだけなのでしょう。でも、それはテレビを製作する側の常識であり、人間としての常識とは違います。

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風が吹こうが雨が降ろうが自分で判断することなく、会社からの指示を待って行動する。判断することができなくなったのか、団体行動を乱さないためなのか、理由はわからないけど、日本人の多くは自分で決断をしないことが多い。それがよいほうに出たのが震災後に取り乱すことなく、あの状況でも列を作って順番を待つ人たちの姿です。逆に先生の指示に従ったがために津波に流されたということもありました。こういうのは結果論だけでは語れないのですが、マスコミは結果だけ取り上げて美談にしたり、中傷したりします。マスコミがどう言おうとかまわないのですが、大事なことはひとつだけです。

自分の命は自分で守れ。

それだけです。もし台風の実況中継のようなことをさせられたなら、さっさとその組織から抜け出すことです。もちろん一般人が台風の実況をするようなことはありません。それはただの例です。連日徹夜を強いられたり、深夜まで残業させられたり。それを楽しめるならいいですが、それで体を壊しても会社は守ってくれません。雷雨の中、職場に向かって落雷にあったら労災にはなるでしょうが、命は帰ってきません。だから自分で判断しなければいけないのです。まだ頑張れるのか、もう限界なのか。

電車が止まっているなら堂々と休んでしまえばいいのです。そのために有給があります。いや、有給がなくても休めばいいのです。大事なのは指示を待つのではなく自分で判断する習慣をつけることです。自分で判断し行動をする。そして自分の判断が会社などからの指示と違う場合、再度考えて判断する。自分らしく生きるというのはそういうことの積み重ねではないでしょうか。自分らしさと自分勝手の見極めができるバランス感覚も必要ですけどね。

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