自分の書いた言葉で誰かを傷つけてしまう可能性について

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昨日の記事を沢山の人が読んでくれたようで、本当にありがたいことです。こういう記事をいつも書ければいいのですが、こういう記事は自分の力というよりはハプニングに頼るものですので、わたしの実力ではないという現実。

しかも今回は記事として出すべきかどうか悩みました。出した後も出さないほうが良かったんじゃないかという思いがあり、その気持がまだわたしを支配しています。

東京マラソンのときは今回以上の記事のブレイクがありましたが、そのときはまだ何かを伝えるということに酔っていました。でもライターを1年続けて情報発信をして思うのは、みんなが読みたくなる記事はその裏で誰かを傷つけている可能性があるということです。

今回で言えば、さいたま国際マラソンで実際にボランティアをした人たちや、ランナーとして参加して良い大会だと感じた人、そして運営する人たちが昨日の記事を読んだらどう思うだろう。きっと嫌な思いをするんだろうなと思うと、記事を書いてアップしたあとのわたしの中で大きなしこりになっています。

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じゃあ出さなかったらいいし、記事を消せばいいと思うかもしれませんが、それはそれでまた違います。やっぱり伝えたい事がブログ記事の中にあり、それを伝えることが自分の役割だと考えていますので、驕りだとしてもわたしはそれを止めるわけにはいきません。

ただ、誰かを傷つけている可能性があるということは書いているときから感じていたので、それが大きなプレッシャーになり、言葉を少しやわらかい表現にしたり、それも自分らしくないことをして中途半端に仕上げてしまったかもしれない。大事なことがボヤケてないだろうかとも不安になりました。

そういう意味でわたしはジャーナリストには向いていなのか、もしくは何かを伝える覚悟が足りなさすぎるのかもしれません。

自分が感じたものをきちんと伝えるために誰かが傷ついてもいいの?

たぶんこの仕事を続けていく上で、手放すことなく持ち続ける自問になるかと思います。むしろこの自問を持ち続けることがわたしを物書きとして成長させてくれるのかもしれません。ただいまは気持ち悪さだけが残っています。

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それではどう伝えれば正しかったのでしょう。誰も傷つけることなく感じたことや真実を伝えることはできないものなのでしょうか。言葉にはそんな力はないと諦めるべきなのでしょうか。

言葉を使ってご飯を食べているものとして、言葉の限界は理解しておく必要はありますが、それは自分の未熟さゆえに起こることで、おそらく言葉を巧みに操れるような人であれば、きっと言葉の力だけですべての人を幸せに出来るのかもしれません。

わたしの言葉はたった1人の心を動かすことができないケースのほうが多く、たった1人も苦しみから開放してあげることができない、とても小さな力とスキルしか持ち合わせていません。

そんなわたしが「言葉にが限界がある」というのは逃げでしかありません。言葉によって救われる人もいて、言葉によって人生が動かされる人がいる。言葉によって不毛な争いがなくなることもある。そんな未来を自分の言葉で作り出したい。傲慢であることは理解していますが、言葉を商売道具にしている以上、理想と目標は高く持ち続けたい。

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自分の書いた記事で誰かが苦しんでしまうかもしれない。でもそこで立ち止まるのではなく、その先にある希望を目指して、少しでもいい文章を書けるように努力すること。希望にたどり着けることを諦めないこと。諦めなければ必ずそこにたどり着けるはず。

きっと同じようなことでたくさんの先輩ライターは苦しんできたんでしょうね。そして苦しみを乗り越えて成長していったのでしょう。そういう意味ではわたしにもようやくプロの自覚が湧いてきたのかもしれません。

ただ書けばいい、ただ思いを込めればいい。そんなライティングから殻を破って羽化をする。いまはそんな過程なのかもしれません。

物書きってわたしが思っていた以上に大変なお仕事です。世の中に楽なお仕事なんてないんですけどね。ある種の図太さを持っていないと務まらない仕事かもしれません。図太くはないわたしには向いていないのかもしれませんが、図太い人の多い世界なのでうまくいけばオンリーワンですから、地道に自分らしさを磨いていきます。


騙されてたまるか
著者:清水 潔
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