流行語大賞「保育園落ちた日本死ね」に対するわたしの考え方

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自分が言われると嫌なことは相手に言わない。自分がされて嫌なことは相手にもしない。

少なくともわたしが小さかった頃にはあたり前のことでした。そしてあたり前のようにわたしはその教えを守ってきましたし、これからも守っていくつもりです。

そのつもりでも我慢の限界を超えてしまうと、自分のコントロールができなくなり、相手を傷つける言葉を口にすることがあります。人生で何度か意図的にそういう言葉を使って相手を怒らせたこともあります。相手を怒らせないと、相手を本気にさせないと何も変わらないと思ったとき、失礼を承知で相手が嫌がる言葉を使ったこともあります。

でもやっぱり、意図的であっても後味が悪いですし、そういう場合でも上からモノを言うようなことはしないようには心がけてはいます。丁寧にひどいことを言うから余計に相手の怒りを買いますが。

湘南国際マラソンの取材をしているときに、警備員が「ここは入らないでください」とテレビカメラ前の人よけをしていました。わたしも追い出された1人ですが、「ならぬものはならぬ」ですから指示に従って移動しました。

その後、別の人がそのエリアに入ってきたのですが、その人は警備員に食って掛かります。「あんたは言われたとおりに動いてるだけからもしれないけど、俺は6年もここで写真を撮ってる。ここで写真を撮って問題はない」と。

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世の中にはいろいろなタイプの人がいますが、自分の考えや行動だけが絶対的に正しくて、他の考え方は認めないというタイプの人もどんな組織にも一定数存在します。

そういう言い方をしなくてもいいのにな。もっと違う言い方をしたほうが人が動くのにと感じることは多々ありますが、ぶつかりながら強引に自分の思い通りに進める生き方をしている人は、それがスタンダードなのでしょうから、わたしがどうこう言う問題ではありません。

ただ、上からモノを言われるとやっぱり気持ちいいものではありません。わたしももう若者ではないので、上からモノを言われたくらいえでぶつかったりはしませんが、いまだに上からモノを言う人の気持はわかりません。

湘南国際マラソンの警備員に食って掛かったおじさんは、きっと普段から上からモノを言っているのでしょう。力でねじ伏せて、自分の思い通りに進める。

そういう生き方って辛くないのか不思議なのですが、きっと自分の立場を上にしていないと不安になるのかもしれません。力関係で上に立っていないと自分らしさを、自分自身を失ってしまうという不安。

そういう意味では強くモノを言う人は、本当の意味では弱い人なのかもしれません。

自分に自信があれば、どんな虐げられようと、どんな扱いを受けようが気にする必要はありません。どんな状況でも自分を信じられる。そういうことが強さではないかと、わたしは思います。

そういう意味ではわたしもまだまだ強さからは遠い場所にいます。

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実はここまでが前置き。すみません、本題は手短に終わらせますので最後までお付き合いを。

流行語「保育園落ちた日本死ね」言いたかったのはこの話です。この流行語に対して様々な意見が出ています。個人的には流行していたんだったら、いいんじゃないかとは思います。わたしは一度も使われているのを見たことがありませんので、流行していたかどうかは知りません。

流行語大賞のうち、まったく聞いたことがないのが聖地巡礼と復興城主の2つですので、使われているのを聞いたことないのはただわたしが世間知らずなだけで、おそらく「保育園落ちた日本死ね」も流行したのでしょう。

ちなみに年間大賞の「神ってる」はプロ野球の日本シリーズで初めて知りました。

「死ね」と言う言葉に対して、いろいろな解釈がありますが、少なくともわたしは使ってはいけない言葉のひとつと考えています。「死ぬ」「死にそう」そういう言葉はわからなくはないのですが、「死ね」は相手に対して鋭利な槍を突き刺すような言葉です。

それくらいの強い憤りの想いが日本に対してあったという考え方もできますが、使っていい言葉と悪い言葉があります。芸人がよく「死ねばいいのに」という言葉を使いますが、わたしはその言葉も嫌いです。

きっとそういう言葉を使う人たちは、本当に大切な人を死によって失ったことがないのかもしれません。死の重みを知っていれば、決してそのような言葉は使えないはずです。

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「死」という言葉はとても重い言葉です。使うときは責任を伴う言葉です。少なくともわたしの中では。

でも「死ぬ」ということをそれほど重く感じていない人も世の中にはいます。きっと親からも「死ね」や「死ねばいいのに」という言葉をかけられて育った人たちは特別な意識もなくそのような言葉を使うのでしょう。

自分の弱さを見せないために。自分は強いのだと周りに見せつけるために。

そう考えると「死ね」や「死ねばいいのに」は上からモノを言うための究極の言葉です。人間を超えて神の視点からの発言に近いものがあります。

結果としてその言葉が弱い立場の母親の気持ちを象徴しているという、訳の分からない解釈につながっているわけですが、どういう解釈であれ「死ね」は違うかなと、わたしは思います。

もっとも他の言葉でどう表現すればいいのかと言われると、それ以上に強烈な言葉は簡単には思いつきませんが。

わたしたち人間はどうにかして生きようとすべきで、命の危険は徹底して排除すべきだというのがわたしの基本スタンスです。そのスタンスに対して「死ね」という言葉が正反対の性質を持ちます。

「保育園落ちた日本死ね」が流行語だというのなら別に好きにすればいいと思いますが、この国が「死ね」や「死ねばいいのに」という言葉があたり前に使われ、それを誰もおかしいと思わないのであれば、きっとこの国はわたしの居場所ではないのかもしれません。

誰もが「死ね」という強い言葉を使わなくても自分を誇れる、強い自分を信じられる世の中になってほしい。そのためにわたしに何が出来るか。これからじっくり考えていこうと思います。


言葉力が人を動かす
著者:坂根正弘
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