妊婦さんがつらい顔して仕事に向かわなくていい社会でありたい

Maternitymark

映画「風立ちぬ」で印象に残ったのが「日本は貧しい国だ」というニュアンスの台詞だ。戦前の日本は本当に貧しかったらしい。金属は釘1本であっても高級品だった。なのにアメリカに対して戦争をしかけた。いや、貧しかったからこそ戦争をしかけたと言っていい。あのころの世界はどれだけの地域を支配しているかで国力に直接つながった。あの時代から日本は本当に豊かになったのだろうか。そう思うような出来事があった。

今朝は研修のため東京駅に電車で向かっていました。横浜駅で東海道線に乗り換えたのですが、通勤時間よりも少し遅めの時間とはいえ、座席に空きはありません。もともと座れるとは期待もしていなかったのですが、横に立った女の人の様子がどうもおかしい。痛みに耐えているような、苦痛の表情をしたりします。ただ、つらさが継続するのではなく、周期的にやってきているようです。

その人がおもむろにお腹をさすった瞬間に気づきました。どうやら妊婦さんだったようです。少し離れればわかりますが、隣に立っているとわからないもんです。マタニティマークもカバンに着けていましたが、おいら側からは見えません。品川でようやく席が空いて彼女は座ることができましたが、新橋で降りたので結局ほとんど座れていません。電車を降りるときに、またつらそうな顔をして会社へと向かって行きました。

おいらが言いたいのは妊婦さんに席を譲るべきだとかいうことではなく、なぜ彼女はそんなつらい思いをしてまで仕事を続けるのだろうということです。妊娠してもぎりぎりまで働きたいという人は少なくありません。でも、それが当たり前だったり、評価されたりする世の中なのだとしたら大きな問題じゃないでしょうか。

おいらたちは仕事のために生きているわけではありません。おいらたちは生きるために生きているのです。命を次に繋ぐために生きているはずです。命の繋ぎ方についてはここでは述べませんが、自分の子であれ他人の子であれとにかく繋ぐことが生きることです。なのに、子供を授かった女性がつらい思いをしてまで会社に向かうのはなぜでしょう。そういう社会は豊かな社会なんでしょうか。

お金のため?自分にしかできない仕事があるから?理由はそれぞれあると思います。でも、そこで無理して子供を産めなかったらどうするのでしょう。授かった子供をきちんと産む以上に重要なことってあるのでしょうか。

日によって体調が違って、たまたま今日が調子の悪い日だったのかもしれません。今日は満月だったからお腹の子どもが動き回ったのかもしれません。そんな日はあたり前に休める社会であるべきじゃないでしょうか。妊娠に限らず、体調が悪い時や、家族にトラブルがあった時にあたり前に休めない社会を作りたくて、おいらたちの親たちが一生懸命に働いてきたわけではないはずです。

物質的な豊かさはそろそろいいでしょう。もっと人間の内側にある豊かさを育てようよ。暮らしやすい社会を目指そうよ。そのために何ができるのか、みんなで考えよう。少なくとも妊婦さんがつらい顔して職場に向かわなくてすむ社会でいよう。ああいう姿を目にすると見ているこっちが苦しくなってしまう。暮らしやすい社会づくりに向けて、おいらたちができることは少なくないと思います。

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