わたしの感じた熊本の現状と被災地を走るということ

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熊本城マラソンはマラソンイベントとしては大成功でしたが、冷静に考えれば開催に反対している人もいたはずですし、ランナーとしてもまだ早いと思う人もいるかと思います。

その一方で多くの人の記憶からあの地震のことが消え去ろうとしています。あの日からまだ1年も経過していないというのに、遠く離れた関東では「すでに熊本は復興している」と感じている人も多いのではないでしょうか。

実際に熊本を訪れて街を歩いてみると、被災地だという前知識がなければ、少なくとも市街地では震災の爪痕をほとんど感じることはありません。

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もちろん崩れたままの家もありますし、益城町ではまだまだあの日から時間が止まってしまったままの風景もあります。でも本当に問題なのはハード面ではなくソフト面、人の気持ちの部分の問題です。

わたしの感じた熊本は深い悲しみの底にあるようでした。熊本城マラソンが開催されたことで薄皮一枚だけ、悲しみの膜が取り除かれはしましたが、そこで暮らす人たちの心が解放されるには時間が足りません。

熊本の人たちも楽しければ笑いますし、お酒を飲んで騒ぐこともあります。でも多くの人の心の奥は深く沈んだ状態にある。それがいまの熊本ではないかと感じます。

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それはわたしの思い込みかもしれません。でも、実際に熊本のニュースや新聞、そして地元の人たちから得られる情報からは、いまはまだスタートライン切ったばかり。マラソンに例えるなら5kmにも達していません。

ようやく自分がどのようなコンディションにあるのかがわかったくらいでしょう。

関東にいるとそういう空気はまったく伝わってきません。それどころか熊本や九州で起きたあの地震はなかったことかのように忘れ去られています。わたし自身も日々の生活の中では熊本を意識することは減っていました。

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当然です。実際に足を運んでなければ分かりません。想像だけで人の痛みや悲しみを感じられる、そんな神様や仏様のような心を少なくともわたしは持っていません。

つらいだろうなと思っても、それがどれくらいのつらさなのか、どれくらい深い傷なのか。自分の目で見て、自分の心で感じなければわかりません。

知る必要はないというのもひとつの考え方ですし、自分のことで精一杯で被災地のことなんて考える余裕なんてまったくない。そういう人だっていると思います。

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ですので、九州や東北の人たちのことを想うのが偉いなんてことはまったくありません。ただ、わたしは自分の目で熊本のいまを見ておきたかった。それだけのことです。

裸足ランナーとして、沿道を盛り上げられたというのは結果的にそうなったというだけ。運命か偶然かはわかりませんが、応援に来ていた人とわたしがたまたまシンクロして一体感が生まれただけです。

これが別の被災地であれば、「ふざけていいときと悪いときをわきまえろ」と叩かれてもおかしくないわけです。

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でもわたしが大会前日に熊本の地に降り立ち、そこで感じた閉塞感や深い悲しみの中にある現状を考えたら、何かしなくてはいけない。そんな想いが高まって、気がつけばシューズを脱いでスタートラインに立っていました。

言うまでもなく自己満足です。それがうまく噛み合っただけで、他のランナーさんよりもちょっといい気分にさせてもらえただけのことです。

それでもわたしは、基本的には笑顔や喜びは連鎖するものだと考えています。わたしが裸足で走っているのをみて笑顔になってくれたり、笑ってくれるとすれば、その笑顔がまた他の人を笑顔にします。

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反対につらいことも連鎖します。1人の悲しみが仲間に連鎖していきます。

いまの熊本はその連鎖から抜け出すことができない状態で、ゆっくりと時間をかけて喜びや笑顔の総量が、悲しみの総量を上回るようにしていかなくてはいけない。まだそれくらいの時期なのだと、わたしは感じました。

マラソン翌日の熊本日日新聞のコラムにこうありました。

「復旧・復興の歩みもマラソンとよく似ている。長いレースに焦りは禁物。オーバーペースに気をつけて着実に前に進めるのがいい。心が折れそうになったら、身近な人と声を掛け合いながら」

繰り返しになりますが、これが「熊本のいま」です。

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熊本の街はだいぶキレイになっていますが、それは見た目だけのことで、人の心はまだまだ時間をかけなくては、元の状態には戻りません。ただ、マラソン大会のようなイベントがあれば、回復が少しだけ早まるのだとわたしは信じています。

そしてランナーが被災地を走ることで、一人ひとりの力は小さくても、確実に復興への後押しになります。別にわたしの真似をして裸足で走る必要はありません。自分のスタイルで走ればそれで十分です。

熊本城マラソンは仮装くらいはしたほうがいいかと思いますが。

ランナーだからできる支援の形があります。被災地に行ってマラソンを走り、沿道に出て応援してくれる地元の人たちにたくさんのありがとうを伝える。そして地元の食べ物を食べ、被災地の今を知る。それがランナーだからこそできる支援の形です。

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ちなみに明日、2月22日の10時から東北・みやぎ復興マラソン2017のエントリーが始まります。津波が発生し、すべての住宅が押し流された仙台の南側の地域を走るマラソン大会です。

コースとなっている被災地では、あの日以前にそこで暮らしていた人たちが戻って応援をしてくれるそうです。

あの日のことを忘れないために。そして東日本大震災からどこまで復興しているのか、自分の目で、自分の足で確かめてみませんか?開催日は10月1日です。もちろんわたしもエントリーします。

東北・みやぎ復興マラソン2017:http://www.fukko-marathon.jp

被災地を走ることだけが復興支援ではありませんが、マラソンを走ることができるという能力を活用して、ぜひ一緒に東北・宮城の街を駆け抜けましょう。


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著者:三栄書房
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