いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46

2年前くらいから、ランニング中には乃木坂46の曲を聞いています。テンポが良くて、ポップな秋元康さんの詞も好きで、気持ちよく走れるというのが理由です。それに合わせて、アイドルというドラマが面白かったりで。

でもライブやら握手会などは、自分の楽しみ方とはちょっと違うなと思っていたので、ただ音楽を聞き、ときどきYouTubeで動画を見るくらい。ものすごくライトなファンという感じでした。

ただ、昨日は映画の日で、どうしても観たい映画もなかったこともあり「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」を観てきました。

とても美しい映像でした。

ただ美しいだけ。自分が期待していたのとはちょっと違う仕上がりで、映画を観る前は「泣いてしまったらどうしよう」なんて思っていたのに、1粒の涙も溢れることなく。

泣きに行ったわけではないので、それはそれで構いません。ちょっとグッとくるところもありましたが、涙腺を緩ませる部分ではなく、目の前で起きていることとの向き合い方という部分で、心の少し深い部分をえぐられた感覚がありました。

乃木坂46は2度のレコード大賞を受賞していますが、若い世代はともかく、同世代では「人が多すぎて、誰が誰か分からない」というアイドルグループなんだと思います。わたしも入口はそうでした。

ちょっとずつ名前を覚え、1人ずつのキャラクターがわかってきて、面白いグループだと感じた頃から、自分の中での注目度が上がっていきました。

でもわたしが好きだったのは、アイドルとして成功している部分ではなく、40人以上もいるメンバーの中で、なかなか表に出てこれない人たちの頑張りや苦悩といった部分だったのかもしれません。

乃木坂46は「選抜」と「アンダー」という、いわゆる一軍と二軍という構成になっています。プロスポーツの一軍、二軍というのと違うのは、実力があるから選抜になれるわけではないということ。

これは大きなビジネスなので、グループ全体が売れるために、戦略的にアンダーから上がれない人、アンダーに落ちない人などがいます。あえてファンの不満を作り出すようなこともします。

意図的にドラマを作り出す大人たち。それを受け入れつつも、もがき苦しみながら選抜を目指す少女たち。そういう部分がわたしはたまらなく好きです。

グループの成功している部分は、昔からのファンにとっての待ち望んだ未来であるのかもしれませんが、わたしは昔から「王道」に対する反発心があり、どうしてもマイノリティを好む傾向にあります。

今回の映画「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」は見事に王道の映画でした。キラキラしているアイドルの裏側を見せるドキュメンタリーとなっていますが、その裏側ですらものすごく浅い部分だけを掬い取る。

もっと深いところに触れればいいのにと思いつつも、きっとみんなが望んでいるのは王道の世界なのかもしれません。実際に「ボロ泣きした」というような声を何度も耳にしました。

それを聞いたわたしは「自分は、乃木坂46そのものが好きなわけではないのかも」ということに気づきました。白石麻衣、齋藤飛鳥、西野七瀬といった、今回の映画で中心的な存在だったメンバーではなく、映像に映ったかどうか分からないようなメンバーに共感する。

いま思えば、わたしの競技人生はずっと「二軍」でした。どうやっても一軍にはなれないレベルにあり、練習して成長するものの、一軍に手が届きそうになると「自分なんて一軍にふさわしくない」と、精神的にネガティブになることも。

一軍に上がって結果を出せなくてまた二軍。そういう経験と乃木坂46の選抜・アンダーというシステムがシンクロして、目が離せなくなる。あのとき頑張れなかった自分を彼女たちに投影してしまい「頑張れ」と言いたくなる。

「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」は、そういう部分にはまったく触れられることもなく、乃木坂46の美しい部分だけを切り取り、そして美しく仕上げた映像でした。

それがいいとか悪いとかというのではなく、ただ自分の観たかったものではなかったというだけ。

その中で自分の心に残ったのは、あるメンバーが2つの現場を抱えて、倒れそうになりながらも踏ん張る姿でした。

ネタバレになるので詳しくは書きませんが「やれることをきちんとやる」という姿勢は、北方謙三さんの小説「岳飛伝」の中に何度も出てくる「やるだけやって死ぬ」という言葉を思い出させるものでした。

難しいことは考えず、自分ができることをやればいいのだ。少なくとも彼女はそうやって、多くの人に笑顔を届けているわけです。

わたしはそういう仕事をしているわけではありませんし、彼女の「やるべきこと」と、わたしの「やるべきこと」は一致しません。若いころにこの映画を観たら、きっと「彼女のようにがむしゃらにやらなきゃ」と思ったでしょう。

でも、40年も生きていれば「やるだけやって死ぬ」の本当の意味が分かってきます。倒れるまで自分を追い込んで働くのではなく、自分を常に最高のコンディションに保ち、ベストなパフォーマンスで何事にも向き合う。

これがわたしのやるべきこと。

自分の生き方をどうデザインすべきかは分かっているのに、そこに向かってベストを尽くしていない自分。切実さというか、危機感のようなものが圧倒的に足りていない現実を突きつけられたような気分です。

わたしにとって期待した内容の映画ではありませんでしたが、「いつのまにか、ここにいる Documentary of 乃木坂46」を観たことが、後になって「ここが転機だった」ということになるかもしれません。

少なくとも2019年は現在進行系で、自分のスタンスが大きく変わっているのを強く感じています。考え方や立ち振舞。理想の自分と現実の自分のギャップ。そういうものと向き合っているときに出会った映画。

きっと意味のあることなのでしょう。


悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46
出演:乃木坂46
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