南の楽園よりも北の大地が好きな理由

自分にとって相性のいい土地というのがあります。好きか嫌いかというレベルの話ではなく、なぜかしっくりくる土地。反対にどうも相性が良くない土地というのもあります。

相性がいいと感じたことがある土地はそれほど多くありません。どうも合わないと感じた土地はたくさんありますが、そこに住んでいる人も読んでいるかもしれないのであえて挙げておくのは止めておきましょう。

基本的に水がきれいな土地と相性がいい傾向はあります。

好き嫌いで言えば、わたしは島が好きです。でも島で暮らしたいとは思いません。やはり島だとどうしても水の問題が発生します。島でもおいしい水を飲める場所もあるのかもしれませんが、そういう島に行ったことがありません。

沖縄には1回だけ行ったことがありますが、素敵なところだとは思うものの、そこを自分の居場所だとは思えません。南の楽園は重たい過去を抱えていることもあり、純粋に楽しめないという想いもあります。

とはいえ、今回旅をした北海道も、歴史という点ではとても重たい過去を抱えています。戦時中や戦後の樺太や千島列島で起きたことを思うと、胸が締め付けられてしまいます。

今回の旅で北海道庁旧本庁舎の展示を見学しましたが、樺太に関する展示を見ているうちに、こみ上げてくるものに耐えられなくなりそうでした。

沖縄の過去はとても悲惨ですが、それとはまた違った悲惨さが樺太にはあります。ただ、その歴史をきちんと知らない自分がいて、もっと知りたいという気持ちが自然と湧いてきます。

ところが沖縄の過去に関しては、知りたいという思いよりも、少し距離を置きたいという思いのほうが強く、どうしても真っ直ぐに向き合うことができません。わたしの許容を越えた恐怖心が根付いているのかもしれません。

樺太の展示を見たときに強く心を動かされたのは「こんな極寒の地でも、笑顔で暮らしていた人たちがいる」ということでした。大自然と向き合いながら、冬の寒さに耐えながら、それでも楽しく生きられる。

人間はすごいなという想いと、その生活を奪われたという悲しみ。

勘違いしないでもらいたいのですが、わたしは北方領土を返して欲しいと主張しているわけではありません。道理でいえば返してもらわないことにはロシアと仲良くできませんが、わたしがロシアと交渉しているわけではありません。

わたしにできることがあるとするなら、言葉でその歴史を伝えることくらいしかありません。それは追々の課題としますが、今は単純に胸を締め付けられたという事実だけをしっかりと受け止めたい。

理由はよく分かりませんが、わたしはあの時代の人たちの生活が好きです。台湾だったり満州だったり、与えられた環境で精一杯生きている人たちを思い浮かべるのが好きです。

北海道でも札幌となると自然と向き合う生活ではないのかもしれませんが、それでもすぐそこの山にはヒグマがいて、冬には氷点下の中で生活をします。少なくともわたしの今の生活よりも「耐える」時間が長くあります。

もしかしたらわたしは、無限の自由よりも、抑圧されたの中での自由が好きなのかもしれません。

開放的な南の楽園よりも、思い通りにならないことが多い北の大地の暮らしに惹かれる。その理由がなんとなく分かったような気がします。苦しみの中にある一筋の光を探そうとするのが「わたしらしさ」なのでしょう。

なるほど、それなら沖縄と向き合えないのも納得できます。沖縄のあの歴史には絶望しかありません。いや、実際には希望もあったのかもしれませんが、それを想像するだけの力がわたしにはありません。

シベリア抑留は悲惨な過去ですが、そこには希望がありました。北海道の厳しい冬も、いずれやってくる春という希望があります。いずれやってくる希望を信じて耐えるという生き方。そこに魅力を感じるのでしょう。

これはちょっとした発見かもしれません。わたしが物書きとして進むべき方向性というか、軸になるべき部分の発見。もう少し掘り下げて、うまく伝えられるようになったら、ちょっとした物語でも書いてみようと思います。


IMAGE
仕事ができる人はなぜトライアスロンに挑むのか!?
著者:
楽天ブックス:楽天

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次