映画「さよなら、退屈なレオニー」と17歳の夏

  • 2019.09.02
  • (更新日:2019.11.13)
  • LIFE
映画「さよなら、退屈なレオニー」と17歳の夏

映画の日ということで、あつぎえいがkikiに「さよなら、退屈なレオニー」を観に行ってきました。きちんと上映情報をチェックしておらず、今日だけ特別なスケジュールだったらしく、午前中に行ったら午前の部はないとのこと。

午後の部は6時間後だったので、一旦帰宅してトレーニングしてから、また本厚木まで。交通費が2倍かかってるので、映画の日のメリットなし。

もっとも映画の日だから観に行ったというのは、映画を観るための理由でしかないので別に気にするほどのことではありません。物書きをするためには、たまにはインプットも必要なんです。

「さよなら、退屈なレオニー」を選んだのは、予告がちょっと面白かったから。青春映画が好きというのもありますが、わたしが好きなのは「スウィングガールズ」や「がんばっていきまっしょい」のようなキラキラした邦画。

今回の映画は、退屈な日々にイライラしている少女のお話。2018年にカナダでかなり流行ったみたいなんですが、映画には詳しくないのでもちろん知らず。

1年前の映画なので、きっとこれから観る人もいないと思うので、内容についていろいろ書いても仕方がないので、自分の青春の話と交えながら。そっちのほうがもっと興味ないとか言わないように。

そういえば、わたしはかなり前から「退屈」という感覚がありません。最後に退屈を感じたのがいつなのか思い出せません。少なくとも30年は遡るような気がします。中学時代から常に何かに追わえるように動き続けていました。

やらなくてはいけないこと、やりたいことが多すぎて、壊れたおもちゃのように止まることなく動き続ける。気がつけば43歳になった今でも、退屈を感じることはありません。

43歳のわたしが持っていないのは、「退屈」と「寂しさ」という2つの感覚で、それを持っている人を見ると、ちょっと羨ましくなります。自分とは違う人生を送ってきたわけで、そういう人に対するないものねだり。

退屈って青春の象徴だと思ってます。自分が何者なのか分からずに、どこを目指していいのかすら決まらない。でも、周りはどんどん将来のビジョンを描いてて、大人たちからも急かされる。

わたしにも明確なビジョンはなく、17歳の夏にわたしが考えていたのは、関東の大学でサッカーをするということだけ。幸運にも、わたしの将来に対して知りたがっている人もおらず、父親は気になっていたのかもしれませんが、焦らずに大学に行って考えろと。

恵まれていました。少なくともカナダの田舎町で苛立っているレオニーよりは。

でも、わたしにもイライラすることはありました。本気でサッカーに取り組んでいるように思えない同級生や、うまくコミュニケーションを取ることができない親に対して。夏休み前日の練習で肋骨を骨折した自分に対して。

いや、骨折をしたことでむしろ落ち着けたかもしれません。そもそもベンチ入りもできないレベルのわたしにとって、夏前に骨を折るというのは何が転んでも選手権予選には出られないわけです。

だから、チームメイトとも上手く距離が取ることができました。「あいつらが頑張らなくても自分には何の影響もない」といった歪んだものでしたが。そういう黒い部分は今でも心の奥に潜んでいます。表には出なくなりしたが。

17歳の夏の前半は耐えることしかできません。2週間は走ることさえ許されていなかったので、練習も見ているだけ。夏の合宿では走れるようになっていたので、ずっと走っていました。卒業した後の未来のために。

好きな子はいましたが、夏休みだから会うきっかけもなく。学校があれば、偶然を装って一緒に帰るなんてことも出来たのですが、そういう意味では夏休みが早く終わって欲しかったという思いもありました。

高校最後の夏なんていう感覚はゼロ。

勉強もしていました。涼しい時間に教室でコツコツと……このあたりは記憶があやふやです。でも、部活が始まるまでの時間が勉強時間だったような気がします。それでも、周りの人たちよりは受験勉強をしていなかったと思います。

選手権予選が終わるまでは、サッカーを優先すると決めていましたから。そういえばバイトもしていましたが、いつ止めたのは覚えていません。もう25年以上も前の話ですから。

退屈でなかったことだけは、はっきりしています。映画の中でレオニーがギターを習い始めるのですが、退屈な人にはこういう選択肢があります。興味をいだいた物や人にすぐに飛び込める自由さがあります。

だから退屈でイライラしていたレオニーの生活に変化が現れたのを見て、こういう青春もいいもんだなと。ただ、いいことばかりが続かないから映画は面白いわけです。母の再婚相手を受け入れられない自分と、知りたくなかった父と母の過去。

すべての人を信じられなくなり、次々に自分から切り離していくレオニー。そうしないと自分を守れないような気がしたのでしょう。

わたしはこれまで、何度も切り離すということを繰り返してきたから分かる気がします。それはつらいことではなく、むしろ前に進むために必要なことだと思っています。居心地のいい場所に留まらないことが未来への第一歩。

そうやって前に進むことを選んだから、親と向き合えるような関係を取り戻すことができましたし、新しい仲間にも出会えました。それも永遠ではないのかもしれませんが、わたしはもう17歳でもありません。

しかし、あれから25年以上も経っているなんて信じられません。ビールの味を覚えたことと、髪に白いものが多くなった以外は、あの頃から何も変わっていないつもりなのですが。


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