敬老の日に思うこと

父方の祖父母はすでに他界し、母方も祖父が他界しています。わたしもそういう年齢になったんだなと。子どもがいれば、母が祖母なわけですし、おばあちゃんは曾祖母さんになるわけです。

以前は毎年、敬老の日に祖父母に電話していましたが、祖母の耳が遠くなったのもあり、電話をしないようになりました。

父方の祖父には会ったことがありません。わたしが生まれたときにはすでに他界していたので、写真でしか見たこともないわけですが、ときどき耳にする話からは、その血が自分に流れていることを納得することもあります。

人間の性格は育ちによって変わりますが、そもそも父も母も、その父と母に育てられたわけですから、性格が似てきて当然です。

祖父母の時代を生きた人たちは戦争を経験しています。そういう人はどんどんと減っていくわけです。明治維新を知る人はもういません。人が生きていくというのは、過去を知る人がいなくなるということ。

歴史というのは簡単に書き換えられます。日韓併合に対する日本の視点と韓国の考え方がまったく違うことからも、それは明らかです。

祖父母から戦争についてあまり聞かなかったことを、後悔することがあります。でも、面と向かって話を聞けるかというと、それはやっぱり難しいことです。傷跡をえぐるようなことになると嫌だなという感情が先にあるので。

そもそも、祖父母の時代について興味を持ち始めたのもここ最近のことです。それまでは「触れてはいけない時代」だと思っていました。歴史の授業で近代史はほとんど触れられませんし、戦争といえば「沖縄・長崎・広島」ばかり。

そこに大きな空白があり、そのパズルのピースを一つひとつ埋める作業を、この歳になって始めました。20代や30代の頃にはほとんど興味もありませんでしたので、そのときに祖父母から話を聞いても、うまく消化できなかったかもしれません。

ただ、知りたいのは戦争の話ばかりではありません。そういう時代にも笑顔があったはずで、青春時代を過ごしてきたはずです。いまの価値観とはまったく違うかもしれませんが、青春は間違いなくあったわけです。

誰かのことを好きになったり、親に反抗したり。同級生と少し悪いことをしてみたりと、それぞれの青春時代を過ごして大人になる。

自分にとっては、最初から祖父、祖母だったけど、そうなるまでに色々な経験をしてきたわけです。歌手になるために上京した祖父の目にはどんな東京の姿が映っていたのか。どんな人に出会って、何を感じたのか。

今となってはそれを知ることはできませんが、そういう経験が祖父を作り、母を育てたわけで、その母に育てられたわたしは、間接的に祖父の経験を受け継いでいます。もちろん、そのずっと前の世代から脈々と受け継がれています。

これはとても素敵なことだと思います。自分の個性は、父や母、そして祖父母だけでなく先祖代々受け継いできたもの。決して歴史上の人物ではない、大河ドラマの脇役にもならないような普通の人たちが繋いできた襷。

見えない襷が自分の肩にかかっているわけです。これを次に繋げることができるかどうかは分かりません。繋げたくないわけでもありませんが、そうしなくてはいけない時代でもなくなっています。

ここまで繋いできたことにきっと意味があります。自分勝手な言い方をすれば、ここで途切れるために繋いできたのかもしれません。まだ途切れると決まったわけではありませんので、断言はしませんが。

いずれにしても、祖父母を始めとした先祖がいて今の自分がいます。それだけは忘れないようにしようと思います。四六時中そんなことを考えられるわけではないので、敬老の日くらいには思いだそうかなと。

そうすることで、世の中のお年寄りに対して、少しだけ優しくなれるかもしれません。どこからお年寄りになるのかは、悩ましいところですが。困っている人を助けようとしたら、いろいろ疑われたりしますし。

よく考えたら「敬老」なのだから、敬うのは祖父母の世代だけではなく、親の世代もそうなのかもしれません。でも親の世代ってまだまだ元気なんですよね。間違っても敬老の日に電話するなんてことできません。

だからやっぱり、こうやって祖父母のことを思い出すくらいにしておきます。


昭和のあの頃ぼくたちは小学生だった
著者:かねこたかし
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