3.11の誓い〜大切な人たちの顔を想い浮かべる〜

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3年前、身近なところで2人の子どもが生まれた。わたしのなかでもはや家族だと思っている友人と、本当の家族でもある姉夫婦に男の子が生まれたのは震災の前と後。そこに壁があるわけではないけど、震災前に生まれた子と震災後に生まれた子で、そしてどちらも震災の年に生まれた子でもある。だからどうだというわけじゃないのだけれども、3.11になるとどうしてもその2人のことを考えてしまう。わたしの思う未来は彼らのためにあるような気がするのです。

震災の当日、わたしは会社の慰安会で横浜の万葉倶楽部にいました。お風呂に入って、足裏マッサージを受けていて、ちょうど片足だけ終わったところで地震が起こったのです。片方だけマッサージが終わっていたので足裏のバランスが悪くて気持ち悪かったのですが、そんなことは言っていられません。まずは周りの人を落ち着かせ、そのあとは非常階段への誘導でした。上司の指示はすぐに下に降りて点呼でしたが、非常事態にそんなことしていられません。フロアには足元がおぼつかないお年寄りもいるのです。まずはそういう人たちの安全の確保が優先でした。

全員避難できたあと、当然慰安会は中止で解散。わたしは横浜から鎌倉の姉の家を目指します。電車はすでに止まっていましたが、妊婦だった姉のことが気になり、どうせ家に帰るなら少し遠回りしてでも安否の確認をと思ったのです。電話がなかなか通じなかったのも不安をかき立てました。

わたしはこのときほどランナーでよかったと思うことはありません。横浜から鎌倉までは走ったことはありませんでしたが、もっと遠い藤沢から横浜までは何度か走っていたので、自分の足で鎌倉に向かうのはそう難しくはないと思えたのです。道中でほかにも走って帰宅している会社員に出会い、お互い頑張ろうと励ましあったことを覚えています。こういうとき、ランナーはやっぱり強いです。

姉は無事でした。鎌倉が停電していたのと仕事に出かけていたのとで電波が入りにくかっただけとのこと。でもやっぱり顔を見ると落ち着けるもんです。ただ、そこで見た津波の映像が現実とは思えずただただ呆然とテレビを眺めていました。

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そしてその後の7月に姉のところに男の子が生まれたのです。1月に生まれた友人のところの子も含めて2人とも元気に育っています。震災からの3年間は彼らの成長とともにあります。この国がどうあるべきかを考えるとき、あの震災を無視して考えることはできませんし、彼らの未来をイメージせずに考えることもできません。少しでもよい状態で彼らに引き継ぐためにできること、すべきことはなんなのかを考えないわけにはいきません。

3.11はもうひとつわたしにとって重要な日であったりします。東北に戻ったわたしの大切な仲間の1人の誕生日が3.11だったのです。内陸部に住んでいたのでそれほど被害はなかったとのことですが、失ったものもあったのだと思います。年1回の震災の日の誕生日メールでしかつながっていませんが、このブログを読んでくれているとのことなので、たまには気を引き締めていい話も書いていきたいものです。

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3.11は大きなキズを残しましたが、その代わり人と人とのつながりを深くしてくれました。震災によって苦しんだ人、いまでも苦しんでいる人もいると思います。それでもわたしたちは前を向いていかなければいけません。震災を風化させない努力も必要ですが、時間とともに多くの人の記憶から薄れていくことは避けられません。

だからわたしは震災のことを考えるのではなく、大切な人たちの顔を想い浮かべることにします。震災の記憶が薄れていっても、大切な人への想いは続いていきます。だから震災でつながりが深くなった人たちのことを考えることで、間接的に震災を忘れないようにしていきます。それがわたしの3.11の誓いです。

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