命は永遠ではないということを忘れてはいけない

藤沢本町の名店「ひら井」のお蕎麦

藤沢本町の名店「ひら井」のお蕎麦と秋鹿

今日は呑みたい気分だった。歯医者さんの定期健診の案内が間違って届いたんだけど、まぁいいかと思って予約を入れておいたので偶然にも定時で帰る口実が…いや、これっぽっちも定時で帰るのに苦労する職場ではないんやけど。とにかく歯医者さんのある藤沢本町に行って、チェックしてもらったあと、藤沢本町で唯一美味しいお店といえる蕎麦屋『ひら井』さんで一杯呑んで帰って来ました。すごい美味しい蕎麦屋さんなのに食文化に?マークのつく藤沢本町に似つかわしくなく、開店当時は大丈夫かと思ってたけど、今日はほぼ満席の状態。おいらの目に狂いはなかった。

そんなことはどうでもいい。呑みたい気分なのは今朝、悪いニュースが飛び込んできたからだ。職場の先輩であり上司でもある人のお母さんが亡くなられたとのこと。病気ではなく事故死だとか。自転車を運転していたところに自動車と衝突したとのこと。おいらの父のときは心臓だったからある意味、寿命を全うしたといまなら思えるけど、事故でなくなったならきっと今でも消化しきれていない気がする。先輩の心情はわからないけど、納得出来ない気持ちと悲しさと、もうどうしようもない気持ちなんじゃないかと思うと、お酒を呑むしかおいらの気持ちのやり場がなくなる。

おいらたち人類は世の中が便利になるよう、暮らしが豊かになるようにという思いで今の時代を築いてきた。その結果、100年200年前には想像もできないような理由で命の炎が消えていくことがある。自動車なんて発明しなければ交通事故で亡くなる人はいなかっただろうし、電車がなければ飛び込み自殺する人もいなかったんだろう。でもそれらがあったからこそおいらたちは豊かになった。飛行機の事故なんかはいたましいけど、飛行機があるからこそ世界中を見て回ることができる。何よりもすでにそれらは存在するもので、いまさら籠や馬で移動していた江戸時代には戻れない。

そして何よりも、おいらのこの生命だって、もしかしたら今日とか明日にでも尽きるかもしれない。消えるのがおいらならまだいい。おいらにとって大切な人が前触れもなくこの世の中に存在しなくなったとしたら、それを受け入れるのに一生かかるかもしれない。でも、それが現代を生きるということなんだろうね。常に自分の命が、大切な人の命が永遠でないということを考えておかなきゃいけない。ある日突然、そうなたっときに後悔しない生き方をしておくために。

おいらの父が他界した直前においらは数年ぶりに実家に遊びに行っていた。そういうのを虫の知らせというんだろうね。昨日の日記ではないけど万有引力の法則かもしれない。とにかくおいらは長いこと会っていない父に会いに行った。姉か妹の見せてくれた父の写真を見た瞬間、会いに行かなきゃってなって感じて。もしあのとき実家に行ってなければおいらは一生後悔し続けたんだろうなと今でも思う。そういうのは特殊な例だけど、そういう感覚は大事にしたいし、そもそももっと普段から両親や家族とは同じ時間を共有しておかなきゃとも思う。同じように大切だと思える人との時間もね。

もちろん、そういうことにばかりとらわれすぎててもいけない。ただ、どんなタイミングで大切な人を失うかはわからないのだということ、人の命は永遠ではないということをきちんとわかっておかなきゃいけない。もちろん自分の命もね。どこで命がつきても後悔しないように生きたいと思う。そして、自分の命が尽きたとしたとき、自分がこの世の中に存在しなくなっても誰かの心のなかで生き続けられる人間でありたいとも思う。おいらの父はもうこの世の中にいないけど、おいらの心のなかにはずっと生き続けているように。

死と直面すると、生きることの意味を考えさせられる。そして、自分がいま精一杯生きているのかと自分自身に問うてしまう。だから、この瞬間に生命が尽きたとしても後悔しない日々を過ごしたいと思う。閻魔大王の前に立たされたときに生ききったと言えるように生きようと思う。

ただ今は、先輩とご家族が生きることに絶望することなく、心の中に生きるお母さんの存在を感じられる日が1日も早くやって来ることをお祈りします。

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