危機感という言葉は届かない

SNSで「もっと危機感を持ったほうがいい」といった内容の投稿が目立ってきました。もっともなことなんですが、残念ながらこの「危機感」という言葉ほど相手に届かない言葉はありません。「危機感が必要」と発信するのはいいのですが、それが伝わっていない可能性についても知っておいてください。

なぜ危機感という言葉が伝わらないのか、その理由についてわたしなりの考え方をお伝えしておきましょう。

目次

危機感というのは感覚でしかない

遊園地の人気アトラクションにジェットコースターがあります。テレビ番組などでアイドルになりたての子が、「絶対に乗らない」と拒否し、泣きながら乗っていたりするわけですが、一方で両手を離して笑顔で楽しんでいる人もいます。

笑顔で楽しめる人が、絶対に乗りたくないという人に「安全だから大丈夫」なんて言っても、その言葉で「そっか、じゃあ乗ろう」なんてなりません。恐怖心というのは感覚であり個人差があります。それぞれの人生経験から「怖い」の基準が変わってきます。

危機感というのも同じで、新型コロナウイルスに危機感を持って対応するとしても、どれくらい危険と感じるかは人によって違います。今回のようなケースについては「死」をどう考えるかという部分でも危機感は違い、それぞれの行動が変わってきます。

若い人が原宿や渋谷で遊んでいるのをウーバーイーツの配達中に見かけますが、若い人に「人が死んでいる」と言っても、死と向き合った経験のない若者にはそれがどれくらい大きなことなのか「危機感を持って」という言葉では伝わりません。

人の感情はコントロールできないことを前提とする

わたしは危機感を持たなくてもいいと言っているわけではありません。東京マラソンの一般の部が中止になった段階で「煽り過ぎ」とメッセージをもらうくらいに「これはやばいことになる」と伝えてきました。

それでみんなが危機感を持ってくれたかというと、きっとほとんどの人が無視していたと思います。別にそれをおかしなことだとは思いません。人間はギリギリの状況にならないと危機感を持つことができませんし、「なんとかなる」と思い込みたいわけですから。

わたしが伝えたいのは、他の人の感情をコントロールできるなんて傲慢な考え方は手放したほうがいいということです。そうしないと、言うことを聞いてくれない人に対してストレスを感じるから。言われた相手もストレスだし、自分もストレスになる。

それでも言い続けたいという人を止めるつもりはありません。きっと言い続けることでいつか伝わるのかもしれませんし、世の中にはそういう人も必要なのでしょう。わたしは自分のことしか考えないので、他人に自分の思い通りに動いてほしいなんてことは思いません。

別にこれは今回だけに限ったことではありません。

わたしはこんなにも頑張っているのに

わたしが理解できない言葉のひとつに「わたしはこんなにも頑張っているのに、あなたは何もしてくれない」というものがあります。「わたしはこんなに好きなのに……」バージョンもありますが、わたしにはなぜその思考になるかが分かりません。

わたしが頑張るのは自分の意思で行うこと。あなたが頑張らないのはあなたの意思で行うこと。自分がどれだけ頑張ろうと、それに相手が応じてくれるとは限りません。応じなくてもいいと言っているのではなく、相手には相手の都合があるということです。

今回の「危機感を持つべき」というアナウンスも、それに近いものがあります。「わたしはこんなに耐えて苦しんでいるのに」という思いが、大なり小なりあるのでしょう。全員がそうだとは言いませんが。

こういうときは見返りも何も期待せずに、自分がすべきと思ったことを積み重ねるしかありません。誰かを助けたいと思うなら、見返りも考えずにただ助けるための行動をすればいい。「ありがとう」のひと言がなかったとしても。

ただ自分が何かをしてもらったときは礼を言うべきだし、いずれ借りを返す。自分はそうするけど、相手にはそれを求めない。そんなことは無理?無理ならイライラを誰かにぶつけ続ければいいかと思います。わたしにそれを止めることはできません。

止められたとしても納得できないですよね。

「危機感を持って欲しい」が伝わらないのと同じです。わたしにはあなたをコントロールすることができません。あなたも誰かをコントロールすることはできません。自分の主張ががどんなに正しいことであってもです。

だからどうしろとは言いませんが、鳴らない鐘をいくら叩いても無駄じゃないかなというお話です。この言葉もきちんと届くこともなく、無駄なことをしているのかもしれないので「お前が言うな」かと思いますが。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次