お金は自分で働いて稼ぐもの【誰かが助けてくれるのを待たない】

現時点でわたしは「持続化給付金」の対象外です。あれです、フリーランスに最大100万円給付するというやつですが、今年に入って売上が減っていないどころか4月はおそらく収入アップで、支出も食費しかかからないので生活にゆとりがあります。

事業のために借りたお金を返さなくてはいけないので、浮かれてはいられませんし、いつ仕事が途絶えるかわからないので、立ち止まらずに稼ぎ続けるしかありませんので、しばらくは給付条件の売上50%減にはなりそうもありません。

でも、そもそもくれるからといってもらうべきものなのか。これはこのあと一律で給付される10万円についても同じ思いがあります。シンプルに言いますが「気持ち悪い」というのが本音です。

目次

貧しくとも武士でありたい

武士は食わねど高楊枝と言います。お前が武士かと言われると、そうでもなさそうですがやはり気持ちは武士でありたいところ。時代劇が大好きだった中学時代、テレビの中の武士しか知りませんが、その佇まいにあこがれました。

時代小説も好きで、北方謙三さんの描く楠木正成に惚れ、日本の武士ではありませんが同じく北方謙三さんの水滸伝に出てくる王進に武士の姿を重ねて、いずれそうありたいと思うようになりました。物静かで優しくて強い男。

物語の中の人物ですので理想で固められているわけですが、現実の世界に追いたい背中はそう多くはないので仕方ありません。

いずれにしても武士でありたいわけです。孤立するつもりはありませんが孤高でありたいですし、可能な限りムダを削り落としていきたい。そういう考え方が根っこにあると、「お金をあげる」と言われてもどうもピンとこないわけです。

「なぜ?」

いや、理由はわかっています。不公平感を出したくないのでしょう。本当なら困っている人にだけ手を差し伸べるのが筋ですが、その境界線を引くのが面倒ですから、スピード優先でみんなに10万円を配るという選択を国がしたわけです。

でも「なぜお金をくれるのだろう?」という思いはあります。お金は自分で稼ぐものなのに。

稼いだわけではないお金は気持ち悪いという感覚

誤解されると困るので言っておきますが、100万円はともかく10万円は受け取ります。高楊枝を掲げるにしても限度がありますから。そのときに周りに迷惑をかけないようにと思うと、もらっておくしかありません。でも必要になる日が来るまで普段使わない口座に入れておきます。

生活支援のための10万ですから、それが必要になったときにだけ使えばいいと思っています。だから必要ないなら使わない。経済支援のための10万円なら話は違いますが、今回はそうではないので使わないで備えておくのがフリーランスなら当然かと。

では生活費はどうするか。いや、どうするもこうするも稼ぐしかないんです。稼ぐ方法はいくらでもあります。

わたしは高校時代からバイトを始めましたが、自分で稼ぐようになってお小遣いをもらうのをやめました。高校時代ですからお小遣いは5,000円くらいだったような気がしますが、バイトで3万円くらい稼いでいたのもありますが、自分で稼いでいるのに親にもらう自分を認められなかったのでしょう。

もっとも部活であれこれかかっていたので、親には別の面で金銭的な負担をかけていましたが。

ただ早い段階で自分で稼ぐという習慣が身につき、欲しいものは働いて買うということが当たり前になっていたので、思わぬお金が入ってくることに慣れていません。変な話ですが、お遍路していたときにいただいたお金はすべて、まださんや袋の中に入っています。

そういえばテレビの収録に行ったときに2,000円の謝礼が出たのですが、その2,000円も使っていません。どうも気持ち悪いわけです。もらったお金というのは(母がときどきくれるお金は、ありがたく使わせてもらっています)。

誰かが助けてくれるという感覚は持たない

お金は稼ぐものだという感覚があるので、わたしは3回正社員を辞めていますが、1回も失業手当をもらっていません。1日も空けずに転職をしたのが1回と、1日も空けずに開業したのが2回。運が良かっただけかもしれませんが、もらわないで済むように持っていったのも事実です。

UberEatsの配達員を始めたのも、このままでは生活できないと判断したからです。自分の居場所から一歩も動かずに「収入がなくて困っている」という人が新型コロナウイルス拡大以降たくさん見かけますが、なぜそこから動かないのか正直わたしにはわかりません。

その気になれば、すべてを捨ててお遍路さんでもなれば、生きていくことはできます。そこまでしなくても農家では人が足りなくて困っているわけですから、そこに行けば食事に困ることはありません。カッコいいマスクを作って売ってもいいわけです。

この「なんとかして稼ごう」という感覚があるかないか。実はこのあと大きな分かれ道になるような気がしています。

この感覚を持つには誰にも頼らないという気持ちが必要になります。頼らないというと語弊があるかもしれません。「誰にも寄りかからない」のほうがいいかもしれません。もしくは「誰にも依存しない」も伝わるでしょうか。生きている以上、誰も頼らないのは無理ですから。

ただ、誰かがなんとかしてくれるとは思わないこと。なんとかするのは他の誰かではなく自分。沼から金の斧や銀の斧を持った神様は現れません。かぼちゃを馬車に変えてくれる魔法使いもいません。自分の未来は自分で切り開くしかないんです。

国からの給付金を当てにするのではなく、まずは自分で自分の生活を安定させる。それが基本じゃないかなと思うんですが、きっとこの感覚は自分だけのもの。世の中には使えるものはなんでも使えという人のほうが多数なんだと思います。そして社会で成功するのはきっとそういう人。

だから誰かが助けてくれる派の人を批判するつもりもありません。わたしには相容れることができないなとは思いますが。

まとめ

10万円やら100万円やらちょっと卑しい話になりましたが、伝えたかったのは「誰かが助けてくれるのを待つのではなく、自分で稼げる方法を考えて実行しよう」ということです。その感覚がないと、きっとこのあと大変なことになります。

大変なことになる前に、世の中が正常化してくれればいいですが、それこそ他力本願でしかありません。最悪の状況を想定して待つのではなく動く。自分でやるだけやって、どうにもならなかったら使えるものを使う。

道は必ずあります。ただ、そこに立ち止まっていたら道は見つかりません。自分の未来は自分で切り拓いてください。世の中が悪い、時代が悪いと嘆くのではなく、やれることをひとつずつ。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次